こうしたボウイのありかたは、日本では高名な音楽評論家の手によってではなく、「ミーハー」と呼ばれ、蔑まれていた類の音楽雑誌を通して、まず最初に70年代の少女たちにダイレクトに伝えられた。そのなかの少なくない者が少女マンガ家となったせいで、このころから80年代にかけて、日本の少女マンガには「ボウイに似た」キャラクターがよく登場する。
山岸涼子、池田理代子、木原敏江らの作品にはとくによく登場した。そして読者としてそれを見ていたさらに年若い少女たちが、つぎの世代のボウイ・ファンとなり、ひいては、80年代から90年代の日本における洋楽ロックのマーケットを支えた。
第二次大戦によって世界の孤児となった日本の、その復興の途上だったとも言える70年代の日本で、いまとは比較にならないほどの男尊女卑のなかにいた少女たちが、いかにボウイの声に、その主張に、動きと外見に、魅了されたか。救われたか。きっと、ボウイはそのことを肌でわかっていたから、オフのときにはよく、ふらふらと京都を徘徊していたのではないか。僕にはそう思えてしょうがない。
ふたたびキリスト教になぞらえて言うと、イエス・キリストが地上を去ってからこそが本番なのだ。使徒や信徒のそれぞれが学び、日々その教えに忠実に生きていくところから、ひとつの強靭な文化体系が生まれる。
講談社現代新書から発行された僕の本、『日本のロック名盤ベスト100』には、そんな生きかたをしていく人にとって、幾許かのお役に立てるところがあると僕は信じる。機会があれば、ぜひ手にとってみてほしい。
紙数が尽きた。彼の遺作となったアルバム『★(ブラックスターと読む)』は、日本人ならばマンガ『北斗の拳』の死兆星を思い出すべきであること、アルバムの全体が、あたかもエリザベス・キューブラー=ロスの「死の受容における5段階」をなぞったもののように見えること、あるいは、ボウイの演劇性を語る際に、歌舞伎に加えてもうひとつの屋台骨となったのが、独演劇界の巨人ベルトルド・ブレヒトの「叙事的演劇」理論だった気配があること――などなど、またいずれ機会があれば論じてみたい。
※山本寛斎さんとボウイのかかわりについては、青野賢一さんの論考から多くの知見を得た。ご興味があるかたは、ぜひこちらもご覧いただきたい。