日本人が知っておきたいデヴィッド・ボウイのすべて〜歌舞伎との深い関係から少女マンガへの影響まで

川崎 大助 プロフィール

「生み出したストーリー」だけは決して裏切らない

だから、こんなことが起こりえる。「ジギー・スターダスト」期のコンサート・フィルムを観ると顕著なのだが、場内を埋め尽くした10代の少女たちが、泣きながら、声を涸らせながら、舞台上の「ジギー」に手を伸ばすその姿の「シリアスさ」に驚く人は多い。

それはアイドルを追っかけている、という楽しい状態ではない。彼女たちのまなざしの強度、その後の人生における影響度を推し量ってみると、誤解を怖れずに言えば、新興宗教の集会に近い。

さらに言うとボウイは、その集会での「教祖さま」ではない。彼は「預言者」なのだ。「星の世界にはあるはずの」夢や愛や許しという「アイデア」を伝導するために、彼はときには宇宙人にもなった。「彼そのもの」ではなく「彼が歌うこと、表現すること」のなかにロックンロールの未来があった。その先無限大とも言える、イマジネーションが拡大していく一連の有り様のなかにこそ。

そして10代の少女が泣き叫んだ理由、それは、大仕掛けのなかでボウイが告げた宣言の内容に敏感に反応したからだ。典型的な例をひとつ挙げてみよう。たとえば71年の曲「オー・ユー・プリティ・シングス」。ピアノの美しいアルペジオだけをバックに、きわめておだやかに、こんな不穏な歌詞が歌われる。「空が裂けて、僕のところまで手が伸びてくる/すべての悪夢が今日現実となって/ここに留まろうとしているようだ」。

この曲はじつは、ボウイが第一子であるダンカン・ジョーンズ氏の誕生を受けて「ひらめいた」ものだという説がある。しかしよりにもよって、初めて授かった子供がなにゆえに「悪夢」なのか?ということは、後段にて種明かしされる。

「きみらがパパやママを困らせてるってことを、わかっているのかな?/簡単に説明するね。きみはこれから、人類以上(Homo Superior)への道を切り開くんだよ!」――50年代に流行したSF小説、なかでも10代のミュータントものなどから受けた影響を、「すべての若い世代」への、無条件にして圧倒的な「肯定」として編み直したのが、この曲だった。そしてこの類の主張は、ありとあらゆるボウイの楽曲のなかで、繰り返し繰り返し、聴き手に伝えられることでもあった。

両親や学校の教師、クラスのみんな、兄弟姉妹、自分の身近にいる人の「だれひとりとして」きみの本当の姿には気づかない。一顧だにしない、かもしれない。だが「僕は違う」――ボウイはそう言った。そう、言い続けた。

地球にたったひとり墜ちてきた宇宙人のような自分は、自分が「生み出したストーリー」だけは、決してきみを裏切ることはない……これを、あたかも聴き手のひとりひとりに個別に語りかけるかのような音楽こそ、デヴィッド・ボウイの真骨頂だった。