日本人が知っておきたいデヴィッド・ボウイのすべて〜歌舞伎との深い関係から少女マンガへの影響まで

川崎 大助 プロフィール

さてこの、ボウイの歌舞伎への興味は、どこから生じてきたのだろうか? 日本のファッション/クリエイティヴ界の人脈からの影響、というのは大きかっただろう。だが定説としてよく言われているのが、英国パントマイム界の巨人、リンゼイ・ケンプの薫陶からだという。

67年、ふたりは出会い、ボウイはケンプからダンスとマイムの教育を受ける。ケンプは歌舞伎や能の研究家としても高名だ。「動きで見せる」マイムやダンスに、日本の伝統芸能にて熟成されてきた「型」のいいところを取り込むことにおいて、ケンプは先駆者だった。そして、こうした行為がケンプによる「無言劇」の蘇生へとつながっていった。

それはシェイクスピアの時代、幕間の呼び物となっていた「仮面劇」の現代的な復興でもあった。この延長線上に、つまりは演劇の影響から「カメレオンとしてのボウイ」が誕生することになったと僕は考えている。

「フィクション書き」として

職業音楽家としてのデヴィッド・ボウイは、最初から順風満帆だったわけではない。64年、本名のデイヴィー・ジョーンズ名義のもと、バンドの一員としてデビューするもヒットせず、ソロになってやり直したのが67年のアルバムだった(このときから彼は『ボウイ』と名乗り始める)。

そして、ケンプとの出会いのあと、「ボウイにしかない」あの圧倒的な才能が、全方位的に開花する。多くの人々になんの印象も残さなかったソロ第一作とは打って変わって、大ヒットとなったのが69年に発表された第二作『スペース・オディティ』だった。

『スペース・オディティ』1969年リリース

アポロ11号が月面に到着しようとする時期にシングル・カットされたタイトル曲は、全英チャート5位のヒットとなった。

宇宙船に乗る「トム少佐」と地上管制官とのあいだの交信内容、という作りの「フィクショナルなストーリー」のこの曲こそが、のちに全世界が知ることになる「芸術カメレオン」デヴィッド・ボウイの出発点となったと言っていい。

彼のころころ変わる「ペルソナ」は、演劇におけるひとつひとつの「幕」だと考えるとわかりやすい。全人生をとおして「一場の長い芝居」を演じ続けていたのがボウイではなかったか。ここに僕は、「フィクション書き」としてのボウイの才能の質には、ケンプによって覚醒させられた(であろう)演劇人としての貌を見るのだ。

たとえば、ジョン・レノンを想像してみよう。彼が作った曲、書いた詞、それらはすべて「彼の実人生」の嘘いつわりなき反映だ、と、聴く者は信じがちだ。70年代初頭に盛んとなった、ロックやフォークのソロ・アーティストの自作自演、つまり「シンガー・ソングライター」ブームは、日本の純文学における私小説のありようと、一面とてもよく似ている部分があった。歌の内容について「これは本当のことか?」といったことが問われる、というような傾向がそれだ。

そして当たり前の話、ボウイが宇宙人のわけはない。半人半獣でも、ナチ信奉者でもない。とてつもなく優れた「シンガー・ソングライター」でありながら、彼は私事ではなく、「自伝的な事柄」ではなく、「壮大なるフィクション」をこそ表現しようとし続けた、この意味でまさしく希有な才能こそが、デヴィッド・ボウイだった。