日本人が知っておきたいデヴィッド・ボウイのすべて〜歌舞伎との深い関係から少女マンガへの影響まで

川崎 大助 プロフィール

ボウイの別宅が、かつて京都にあった。この噂は、かなり信憑性が高い。80年、宝酒造の焼酎のCM撮影のために京都に滞在したボウイ(あの俵屋に一週間連泊したそうだ)は同地を気に入って、それからちょくちょく、京都のいろいろなところで目撃談があったという。

ゆかりの地・原宿

ボウイゆかりの地のトップが京都だとしたら、次点は原宿だろう。こっちのほうが、彼が馴染んだのは早かったかもしれない。

ボウイの代表作の一枚『ヒーローズ』(77年)のアルバム・カヴァー写真は、原宿スタジオという名の、同地にある小さな写真スタジオにて撮影された。

このときに彼が着用したレザー・ジャケットを用意したのが、日本におけるスタイリスト業の先駆者である高橋靖子さんだった。撮影は、この前もこのあともボウイの写真を多く撮り続けた写真家、鋤田正義さん。

そしてこのときの『ヒーローズ』のスリーヴ・デザインは、そのまんま、2013年の復帰作『ザ・ネクスト・デイ』にも流用されている。当時約10年ぶりにアルバムを発表するボウイが、数ある旧作からわざわざこれを選ぶことで「再出発」を表現したわけだ。いわゆる「ベルリン三部作」のうちの一枚であるこの『ヒーローズ』、内容はもちろん、日本人のクリエイターによって切り取られたボウイのイメージもまた、まさに一幅の名画のごとく、時代を超越するポートレートとなった。

ボウイの得意技は、そのときどきに音楽性を変化させると同時に、自らの外見(コスチュームや髪形など)も変化させ、つぎつぎといろいろな「別人格」を名乗ってはアルバムを制作し、ツアーをおこなう、というものだった。なかでも、大向こう受け最高だったのが「ジギー・スターダスト」というペルソナだった。髪を赤く染め上げ、眉毛を剃り落とし、極限まで身体を絞った彼は「宇宙からやって来たロックスター」であるジギーを演じた。

このペルソナのもとで72年にアルバムを発表し、欧米をツアーし、大成功を収め、彼は時代の寵児となる。このときのツアーにおいて、ボウイの、いや「ジギー」の衣装を担当していたのが、日本人のファッション・デザイナーである山本寛斎さんだ。