絶好調!大河ドラマ『真田丸』
真田・徳川家の子孫が明かす「謎と真実」

週刊現代 プロフィール

真田兄弟をめぐる「謎」

真田 私は昌幸が息子二人の性格を見て、息子達を家康と秀吉どちらに送るかを考えたような気がするんです。徳川から縁組みの話がまずあって、信幸ならあの家康とでもやっていけるんじゃないかと思ったのでは、と。

徳川 信幸がどんな性格だったか、ご子孫に伝わっていますか?

真田 かなり生真面目でリアリストだった、とは聞いています。

徳川 信繁についてはどうですか。

真田 そちらはほとんど伝わっていません。というのも、松代真田藩としては、弟がなまじ大坂の陣で華々しく活躍したせいで、真田の武名は轟きましたけど、おかげで後々苦労した。後代の藩主たちは、信繁についてはあまり触れたくなかったんでしょう。

山本 関ヶ原の戦のさい、家康本隊とは別に中山道を進んだ徳川秀忠は、行軍途中にあった真田昌幸・信繁の籠もる上田城攻めに手間取って関ヶ原会戦に間に合わず、父・家康から大目玉を喰らいました。

また、大坂冬の陣(1614年)では、信幸の嘆願で命を助けられて九度山に蟄居していたはずの信繁が密かに抜け出して大坂城に入城し、真田丸を作って徳川方を悩ませます。さらに大坂夏の陣(1615年)では信繁は突撃して徳川家康まであと一歩のところまで詰めよりました。徳川にとって「真田」はやっかいな相手の代名詞だったでしょう。

真田 そのせいか、大坂の陣の後、松代藩は幕府から「実は大坂方と内通していた」と詮議されているんです。それは濡れ衣であると逃げ切りましたが、後年も幕府からあれこれと手伝い普請を命じられました。信幸が隠し財産を作っておいたおかげで、なんとか江戸中期までは財政破綻にならずに済んだそうです。

徳川 あったんですか、隠し財産?

真田 あったらしいです。途中で吐き出し尽くして他藩と同じように借金生活になりましたが。

山本 一つ、真田兄弟について推論したいことがあります。真田信幸と真田信繁は1歳違いの兄弟で、幼名は信幸が源三郎、信繁が源次郎でした。昌幸は、いったん同盟した徳川と手切れた時、上杉景勝を頼って信繁を人質に出します。その後、信繁は秀吉の人質として越後から京へ回されて大谷吉継の娘を正妻に迎えました。

豊臣政権において、大谷吉継は政権の中心メンバーです。京の都で天下人に仕え、秀吉の信頼する奉行の娘を妻にした信繁と、沼田の地にとどまって徳川家の家臣の娘を妻にした信幸だと、どう見ても主流は信繁に見える。要するに、本当は信繁が長男で信幸が次男だったと考えたほうが辻褄が合うんです。

ですが関ヶ原があって、信幸が歴史の主流に残ってしまった。そうなると信幸が真田の長男であるとしたほうが、後年の徳川将軍家としても座りがよくなったのではないでしょうか。

徳川 親も長男も徳川に逆らったけど、次男だけ残りましたっていうのよりは、ですねぇ(笑)。

真田 なるほど、真相はわかりませんが、そのような考え方もあるのかもしれませんね。

信幸は家督を譲った後、4代家綱の世まで生き抜き、93歳で死ぬまで頭脳明晰だったそうです。晩年にも松代真田家には次々と難題が降りかかったので、信幸が長命でなかったら、今、私はここにいませんね。