絶好調!大河ドラマ『真田丸』
真田・徳川家の子孫が明かす「謎と真実」

週刊現代 プロフィール

徳川 真田氏の発祥の地はどこですか?

真田 上田(長野県)のあたりの真田庄ですね。徳川家はどちらです?

徳川 三河(愛知県)の奥の奥のほう。じつはウチは「なんちゃって源氏」でして、後に(源氏の氏族だけがなれるといわれていた)征夷大将軍の座には就いたものの、どうも最初は源氏というか、由緒正しい武士ではなかったらしい。

だからこそ武田滅亡後に源氏の名族だった武田家の家臣団を大勢抱えられたのは嬉しかったと思います。武田軍学を入れ、山県昌景勢の着けていた赤備えを部下の井伊直政に着けさせたりもしました。

真田 真田信繁も赤備えで有名になりました。ただ信繁が、赤備えを着けたのは大坂の陣の時だけだったんですね。以前、どなたかに「なぜ赤備えだったんですか」と聞かれたのですが、調べてもらってもよくわかりませんでした。武田の影響はあったのだろうと思いますが。

真田は昌幸の代は上田、そしてその長男・信幸になって沼田(群馬県)も領するわけですが、大国の狭間ですので、まずは日々生き残ることが先決、という考え方が染みついていたようです。

家康とは生理的に合わない

徳川 そこが大国と小国の違いですよね。ウチも三河家臣団だけの時は無骨な武士集団だったんですが、だんだんに大きくなり、織田信長と同盟し、そうなっていくと政治的にならざるを得ない。その時に武田の旧臣たちの政治的センスは役に立ったと思います。

本能寺の変で信長が亡くなった後、大国としての徳川家にとって、小田原の北条氏との関係はとても大切だったんですが、そこで真田家が出てきます。せっかく北条とウチは微妙なバランスをとりつつ平穏に付き合っていたのに、北条は真田と小競り合いをして豊臣秀吉を怒らせ、小田原征伐を引き起こしました。

そして北条が滅ぶと、家康は行きたくもない関東に押し込められた。家康としては、真田は、婿(北条氏直)であり同盟者だった北条氏の躓きの石だったので、非常にいやな思いを抱いたはずです。