勝谷誠彦「騒乱のバンコク」リアルタイム日記 Vol2

村本さんが撃たれた場所に立って
勝谷誠彦

 5時くらいには空港に向けて出発しなくてはいけない。空港での待ち時間にこの日記をお送りしようかとも考えたが、ネット環境が不安定なので早起きして書く。

 日本は雪が降って大変なようですね。都心で40年ぶりにうっすらと積もったとか。

 日本国は雪の時に大変が起きる。赤穂義士の討ち入りしかり、桜田門の変しかり、2.26事件しかり。

 昨日そのものには何もなかっかかもしれないが、大変の前兆かもしれない。

 バンコクの対立は動きが止まって政治的な駆け引きが続いている。

 軍や治安当局が様子を見ているというのが正直なところだろう。

 日本の大メディアの記事からは、「ひとごと」というニュアンスがよく出ている。村本さんが亡くなったから、それでもここまで注目されているのである。

 こちらで情報を集めているとまことに複雑な仕掛けあいが起きている。どうして日本のメディアは報じないのかなあ。

 事態はバンコクだけで惹起しているのではない。カンボジア国境ではタイとカンボジア軍の交戦があるし、チェンライでは放送局の発信施設が爆破されている。

いずれも日本国内で起きれば一面当確だろうとうい出来事で、こちらでメディアをチェックしていると「おっ」と思うのだが、日本の大マスコミのウェブのサイトには一切出ていないですね。わが祖国は情報管制されているのか、ただセンスがないだけなのか。

 シーロムやスクンビットまで進出すると言っていたものの、昨日の赤シャツ隊には動きはなかった。水面下では指導者たちの逮捕を巡ってさまざまな駆け引きがあったようで、軍も司法当局もかなり危ういスタンスでいるように思われる。

 昨日。現場の前線を見たあと私は村本博之さんが銃撃された現場に向かった。

 タイの民族性で私がいつも不思議に思うのは、どんな惨劇があっても、それが水を流してぬぐったようにあとあと人々の心の中に残らないことなのだ。

 民主記念塔の周囲はかつて軍が人々に対して発砲して多くの人が血を流した場所だ。しかしそのことを語りかけても誰もが「えっ?」という顔をする。まだしも天安門事件のほうがあの民族ですらトラウマになっているのだが。

 今回も実はそうであった。村本さんが撃たれたと思われる場所はもはや何の痕跡もなくただの日常が流れていた。日本であれば献花台のひとつも出来るであろうその場所には、ひともとの花とローソクがあるだけであった。もっとも、私はあの日本の献花台というのは嫌いですけれどもね。

 その場所が村本さんが撃たれたところかどうかも実はさだかではない。「ここだろう」という地元の人々も実になげやりなのである。亡くなった20人以上の人の、実は誰かひとりを縁者が弔っているのかもしれない。しかし、多くの人の声を総合して、私はそこが村本さんが報道の真実のために命を落した場所と信じて、祈りを捧げたのであった。

この連載はコラムニスト勝谷誠彦のメール『勝谷誠彦の××な日々。』より一部を抜粋して転載したものです。メールの購読はこちらで行えます。