大阿闍梨が明かす少年時代「中学校に入ってからは、パチンコ屋さん通いがやめられませんでした。なぜなら…」

島地勝彦×塩沼亮潤 【第3回】
島地 勝彦 プロフィール

塩沼 わたしの子供のころは、米や味噌がないと「ちょっと隣に行って借りてきて」と親からいわれたものです。それで「おばちゃん、お米貸して」と頼みに行くにがわたしの役目でした。

そうしたことが普通に出来たのも、ご近所同士の絆が強かったからでしょう。しかしいまはそういう近所づきあいもなくなってしまいましたよね。

ヒノ とくに東京のような大都会では隣に住んでいる人とも会話すらありませんからね。

塩沼 わたしが高校に進学出来たのも、知人や親戚のみなさんから助けていただいたお蔭です。「せめて高校までは行かせないと」と、知人や母親の兄弟たちがみんなで手伝ってくれたんです。

でもご厚意に甘えてばかりではいられませんでしたので、わたしも家計を助けるために中学2年生からアルバイトをはじめました。

シマジ どんなアルバイトをやっていたんですか?

塩沼 知り合いの方が喫茶店をやっていて、毎週日曜日に3時間働いて1200円いただいていました。ある日、カップルのお客さまがいらして、コーラを注文されたんですが、アルバイトで入ったばかりのわたしはコーラの出し方もわかりません。

そこでマスターに「コーラはどうやってだせばいいんですか?」と訊くと、「いつもやっとるようにやっとけ」といわれました。わたしはまかないでカツ丼とコーラをいただいていたのですが、そのときと同じように氷も入れず生ぬるいコーラを自分たちが飲む普通のコップに注いでそのまま出してしまいました。

シマジ それはなんとも微笑ましいエピソードじゃないですか。

塩沼 デート中のふたりがわたしの出したコーラをみたときのキョトンとした顔を、いまでもよく覚えています。わたしはなにもわからなかったので、どうしてふたりがそんな顔をするのか見当もつきませんでした。いまにして思えば、本当に申し訳なことをしてしまいました。

立木 シマジが女といたら、「マスターを呼んでくれ」と文句をいうだろうね。そのカップルは塩沼少年が出したぬるいコーラを文句もいわず飲んだんだから、温かいひとたちだね。きっと結婚して幸せな家庭を築いていると思うよ。

ヒノ また立木先生、ずいぶんな連想飛躍ですね。塩沼さん、そろそろネスプレッソのお代わりはいかがでしょうか?

塩沼 ありがとうございます。いただきます。

ヒノ 最初に飲んでいただいたのはシマジさんの好きな「ローマ」というカプセルでしたが、今度は南インド産の豆を使った「インドリア」です。

塩沼 先ほどのものよりややスパイシーで“大人の味”という感じがしますね。