日本のお正月を彩る「松飾り」のその後は?
江戸時代から受け継がれる「幸田家のくらし」

青木 奈緒 プロフィール

「材料屋さんと鳶の親方と三人で知恵を絞りましたけど、すみません、結局はわからず仕舞いでした。風に飛ばされて自然消滅か、お手伝いさんのいるお宅なんかでは、庭掃除のときに片づけてるんじゃないかって。何しろ自分たちの仕事も、親父のころとはずいぶん変わってきてますから、いろんなことがどんどんわからなくなっていくんです。

以前は、雪が降れば、若い衆が自転車に乗ってつるつるすべりながらお得意様をまわって、頼まれたところの雪かきしましてね。お祝儀が出たらみんなでおこづかいにしたりして。今は雪が降っても、雪かきに行くのは一カ所くらいかな。

鯉のぼりの棹を立てるのもやらなくなりましたね。大きなお宅の軒下に栗の太い丸太がしばりつけてあるんですけど、あれはひとりじゃ手に負えません。親父が元気だったころは、毎年欠かさず立ててましたが、あるときそこの旦那さんが親父にいくら払えばいいかって聞いて押し問答になって、立て賃もらうくらいなら鯉のぼりはやめときましょうって、おしまいになっちゃった。

つまらない意地張って、頑固っていえば頑固だったけど、あのころは賃金ではなく、気持で身体を動かすことが多かった。そういうのがどんどんなくなっていくんですよ。鳥総松も、今でも挿すところは挿すんですけど。いつまで残るか」

話し好きの親方は電話を切りかけ、「すみませんね、長くなって」と言っては話しつづけ、門松についてもあれこれ教えてくれた。男松(黒松)と女松(赤松)があるが、関東では男松が好まれること。中心に組む三本の竹の一本を前に出すか、後ろにすえるかで意味が違う。切り口を寸胴にするか、削ぎにするか……。

「そういうこと気にする人、減ってきましたよ。いやぁ、今回はいい勉強させてもらいました」

親方の胸の内には日ごろ思っていても口に出さないことがたくさんあるに違いない。単に聞かれたから答えるというのではなく、まるで鳥総松がふさいでいた心の蓋を開けてしまったかのような、あふれ出る話し方だった。

後日、母にこの話をすると、おもしろそうに考え深げに聞いていた。

「変化っていうのは、そうやって現われるものだと思うのよ。かろうじて形が残っても、意味が消えたら形は躯(むくろ)にしか過ぎなくなって、やがて忘れられる。そんなことにこだわらずに、さらさらと新しい時代に移ることが器用と思えるときもあるし、今、手放したらもうお仕舞いとわかっていながら、みすみす手からこぼれ出ていっちゃうこともあるし。鳥総松は、今まさに消えようとしている、消えかかりの春の陽炎かねぇ」

「まだ陽炎じゃないでしょ。家だってやってるもの」

「そうね、まだね」

母の声には変化をいくつも乗り越えてきた感があった。

青木奈緒(あおき・なお)
作家・翻訳家・エッセイスト。随筆家青木玉の娘、幸田文の孫、幸田露伴の曾孫。1963年、東京都生まれ。学習院大学文学部ドイツ文学科卒業、同大学院修士課程修了。オーストリア政府奨学金を得てウィーンに留学。1989年より翻訳・通訳などの仕事をしながらドイツに滞在。1998年に帰国して『ハリネズミの道』でエッセイストとしてデビューし、幸田家四代の文筆家として話題になった。おもな著書に『うさぎの聞き耳』『くるみ街道』 『動くとき、動くもの』 『幸田家のきもの』『風はこぶ』などがある。