大阿闍梨がみた地獄「修行をはじめた頃、亡霊と餓鬼ばかりが現れました。あれは夢だったのか、幻覚か。それとも…」

島地勝彦×塩沼亮潤 【第2回】
島地 勝彦 プロフィール

シマジ 右の道を選べば楽で、左の道を選べば辛く難しいというとき、わたしを含めて一般人は右に進んでしまうものですが、さすがは塩沼大阿闍梨、そこからちがっていますね。すべての芸術家はあえて難しい道を選んでいます。たとえばモーツァルトやベートーヴェンがそうです。

塩沼 楽だと思ったら成長しないものです。自分に出来るか出来ないかわからないくらいのハードルを設定して、ギリギリのラインを攻めていくのが修行としてはいいかもしれません。

シマジ さきほど真っ暗な山道を半分寝ながら歩いていて断崖絶壁の30センチ手前で目が覚めて助かったという怖い話をお聞きしましたが、歩いていても眠くなるっていうのはよくわかりますね。

DVDを観ると酒井さんは途中でいろんなところに立ち寄ってお経を読んでいました。吉野山の場合はどうなんですか?

塩沼 吉野の場合は、大きな神社も含めて、お寺や祠、お地蔵さん、観音さんなど、立ち寄る場所がぜんぶで118ヵ所あります。

シマジ 真っ暗でうっかり通過してしまうことはないんですか?

塩沼 いえいえ、さすがにそれはありません。全部正確に覚えていますから。

シマジ そこで経文を誦すると、目が覚めたりするんではないですか?

塩沼 はい、目が覚めます。ところが不思議なことに、お経をあげているときに限って怖いものをみたりするんですよ。

シマジ それはまだ塩沼さんが悟りの境地に達していないから、怖いものを怖いものとしてみてしまうんでしょうか?

塩沼 おそらくそういうことかもしれません。はじめは物凄く怖かったですよ。でもしょっちゅうみているうちに慣れてくるんですよ。

シマジ それは亡霊とか餓鬼とか亡者ですか?

塩沼 幻覚のなかで3匹の餓鬼が行く手を阻んで石を投げつけてきました。実際に石がみえて、必死で避けたりするんですけれども、ハッと気がつくと何もない。それから、4メートルはあろうかという大きなイノシシが襲ってきて「うわっ、やられる!」と思ったら、何もなかったとか。また、後醍醐天皇の南北朝時代の戦場跡では、亡霊を何度もみました。

まだはじめのころのはなしですが、低いテーブルで握り飯を食べて休憩していると、なんだか霧に包まれたような感じになりまして、バーンと体を倒されたんですね。金縛りのようになって、体が動かない。胸のあたりに武士の手甲があるような感じがして、それがだんだん首のほうに上がってきた。

首を絞められるという恐怖から、このままじゃヤバいと思って、意を決してワーッと大声を出しながら体を動かしたんですね。次の瞬間、気がついたら武士の手甲は消えていました。