「戦争、貧困がなければ、僕は物書きにはならなかった」
〜作家・開高健「幻の講演」を公開(後編)

「成人の日」特別企画
開高 健

戦争がなかったら小説家にはなっていなかった

えー、もうあと10分くらいしかない。だから初めに言ったように小説家の話は取り留めがない。えー、ノートとらなくてよかったと思うんですけど。

そんなこんなで私は、切手だけで食っていたこともあるんです、一時期。これは何かというとね、英語学校で知り合いになったんですけどね。そこの先生が、極度の貧乏で布施の自宅で文房具屋をやっておりまして、文房具屋さんというんですが、万年筆もない。便箋がちょちょっと、埃かぶって日光にあたって黄色くなって端がめくれてる。

これが名前だけが壮大なんですけども「世界ペンフレンドの会」を作りまして、日本全国から外国の友達と--ペンパルですな--手紙のやり取りして楽しもうという。英語が翻訳できない。フランス語が翻訳できない。それで切手を原稿料の代わりに同封してきまして、手紙を送ってくる。それを私が開いて、その手紙を読んで翻訳して出す。その御礼に翻訳料として切手をもらう。

ところがこの家が借金魔に追われてまして。表道路をトラックが走ってまして、家ががたがた揺れる。二階は斜めになってる。寝転んでると体が転がって行きそうな感じがする。下では脳がすこし暖かくなったおばあさんと脳の鋭すぎる子どもがおもちゃの取り合いをして大げんかで、奥さんは貧乏でぼけてしまって、胡乱(うろん)となってる。ご主人はもうどっか行ってしまって。借金取りが恐ろしくなる。ごめんと言う声で借金取りが入ってくる、私が応対する。借金取りが凄文句並べて帰っていく。また斜めの二階にあがって英語翻訳する。

この1日2度、朝11時頃と昼の15時頃に郵便箱に、郵便物が放り込まれる。そのときたまたまそこのご主人がいると、私とご主人がどっちが早いか駆けつけて、切手を目指す。封筒、中身は何入っているかはいいの、いくら切手が入っているかを調べて、それを取り合いをするわけです。これまた凄まじいの、目つきが。

それで、その切手を持って近くの--郵便局に渡りを付けてあるというの。切手を現金にかえちゃいけないんですけども、どこをどうしたのか分からないけれども--その郵便局だけは、郵便切手を持っていくとお金に換えてくださる。それでもって私は家帰って、そのころもう駆け落ちして子供を作って、早く言えば郵便切手で森永のドライミルク買うてたんですけども。育英会の奨学金もずいぶんご厄介になって、この学校にいるときから育英会もらい続けていたんですけども、その用途を書けと言われたら顔が赤くなるような使い方をしていたんです。

そういうわけで、もしや戦争とか窮乏とかいろんなことが無かったら、私は小説家になっていなかったかもしれないし、今頃ここでなにか藤井先生の後を継いでおとなしく英語など教えて、それで「あのぉ、近頃の子供は元気がないね」ってなことを言っていたのかもしれない。女の子の方が元気がある、民族の未来が心配だってことを言っていれば済むような、おとなしい生活が送れたんではないかと思うんですけれども。

そういう感じやすい時期に滅茶をやったために出鱈目なことになりまして、横道にそれてしまって、以来今日に至るわけです。