「戦争、貧困がなければ、僕は物書きにはならなかった」
〜作家・開高健「幻の講演」全文掲載(前編)

「成人の日」特別企画
開高 健

防空壕の掘り方

私なんかの子供のときには中学校でずいぶん漢文も教えられ、英文も教えられ、文学やら歴史やら教えられたんですけれども、決定的には軍国主義教育なんで、それ以外のものを知りようがない。

知ろうとすると敵性--〝てきせい〟というの、適応しているということではなくて、その逆なんで、敵の性質なんで敵性。英語のことは敵性外国語っていう。なんでもかんでも敵性になっちゃって英語を使っちゃいけねえということになるんで。スコップて言っちゃいけねえ。エンピと言え。円い匙と書くんです。自動車というものもだいぶ姿を消しつつありましたけど。ハンドルと言っちゃいけねえ。どういうんだというと前後左右自由操縦機と言えという(爆笑)。

諸君らは笑っているけれども一民族一国家が狂いだすとこういうことになるんであって、笑っている場席ではない。前後左右操縦機と言っているうちにバンバンとやられる。ここまで狂ってしまう。

それどころか、B29だの油脂焼夷弾の正体が分かっていないんで、この辺り一帯の家がそうだし、私の家があまり遠くない北田辺というところだったんですが、あらゆる家の戸口に、防火用水の桶に水を入れておく。竹竿の先に藁で編んだ箒がついてる。これを立てかけておく。バケツに一杯砂をおいとけっていう。

何をするかというと、ボンと焼夷弾が落ちてきたら、焼夷弾は高熱である。水をぶっかけるとどうなるかというと、消えるどころかいよいよ盛んに燃えたつんで、あまりの高熱のために水が瞬間に分解してしまって、その中にある酸素が燃え出すっていう。水が燃えるっていう。そんなことは理屈で、新聞でこそこそと説明してましたけどもあまり目につかない。

とにかく水をぶっかける。水をぶっかけて駄目なら砂をぶっかけろっていうんです。何メートル四方と火の海になっているものを飛び込んで砂ぶっかけろと言うんです。それでだめなら、砂ぶっかけた上から帚で叩けっていうんですからね(笑)。

それからあらゆる家の前に防空壕が掘ってあって、これは私は父がいなかったので私は自分で掘りました。母親が泣き泣き「お父ちゃんがいてはったなら」とばっかり言っている。泣いてる母親はげまして防空壕掘って。その上に竹を渡して。防空壕の掘り方も諸君にいくつでも説明できるから、もし聞きたかったら私の家に来ていただきたい。ゆっくりと懇切丁寧に(笑)、上中下あらゆる段階のものを教えてあげることができる(笑)。

西洋の戦争中を扱った映画を見ていると懐かしくてしょうがない。ヨーロッパの防空壕と日本の防空壕とどう違ったか。そこにどのような思考法の違いがあるか。そういうことを考えていると明日の雑誌の締め切りに間に合いそうだ。これ原稿に書こうかと考えたりするんですけれども。

この点については、われわれ経験豊富です。それからどんだけおなかが減ってもやりくりがつけられる。心の覚悟と鍋の覚悟ということについても、我々はとことん経験しているんで。

いつぞやもオイルショックというのがあって、日本中の食いもんがなくなるで、えらいことになるで、お先真っ暗やて新聞が書き立てたことがある。みんな顔面蒼白になってるんですけども、私の世代だけが張り切っちゃって、ほら俺たちの時代がやっと戻ってきた、すいとんの作り方教えたるで、真っ先に野坂がはしゃいで書いていましたけども(笑)。野坂ばっかりを出して悪いんですけども、つい派手なもんだから、引き合いに出すんですけど。