「戦争、貧困がなければ、僕は物書きにはならなかった」
〜作家・開高健「幻の講演」全文掲載(前編)

「成人の日」特別企画
開高 健

戦争が始まった

中学校2年になるともういけないんで、戦争は始まっているし、この戦争は皆さんしょっちゅう本で読まされてもう承知でしょうし、耳にタコができているでしょうし、あなた方のお父さんお母さん、特にお父さん方がお酒を飲むとオイと言ってしゃべり出すんじゃないかと思いますけれども。

はじめは景気のいい真珠湾攻撃だか、イエスかノーかでマレーの山下奉文ががんばったとか、血沸き肉躍るような話だったのですが、この景気のええ時代があんまり長く続かなかった。

だいたい我が国はいつでもそうなんですけど、景気がええという時代はあんまり長くは続かないですね。しばらくするとあかんで、不景気やで、鍋の底見えてきたでという話になるんです、今はぼつぼつというか鍋の底の話ばっかりしていますけど。諸君も覚悟されたい、その点は。あまり深い鍋やないんで、日本という国は。それは横道それる話で。

それで初めのうちは学校からあちらこちらへ駆り出されて1週間とか10日とか。何しにいったかというと大阪市内のあちこちへ散らばって、防空壕を掘ったり貯水池を掘ったりして。

空襲になると家が燃える。大阪のような大都市になると、家が燃えると、人間が窒息死する。火事を消すための水が要る。それであちこち家を引きずり倒して空き地を作って、それでその空き地になったところへ、この、貯水池を掘る。それで、まあ早くいえば、なんて言ったらいいのか肉体を酷使する労働をする人という生活をし出したんです、弁当箱さげて。

それも初めのうちは弁当箱をさげていたんですが弁当箱の中身が米がどんどんどんどんなくなっていくんで、大根を入れて増やす。お芋をいれて増やす。麦が入っている間はまだよかった。コーリャンが入ってくる。弁当箱の中身を綴っていくだけで一つの国の戦争の歴史がいっぺんに出てくるんです。

防空壕や貯水池を掘りに行った先でおやつを出してくれるんですが、これがまた不思議で景気のええ町と悪い町と備蓄食料のある町とない町とかあって、トコロテンしか出してくれないところと、おにぎりを出してくれるようなところもある。

貯水池を何日以内に掘り上げないといけないという憲兵隊が回っていたりと恐ろしいんですけれども、目先の早いのがさっと駆け出していきまして、隣組の婦人会とかなんとかいうところいって、台所を覗き込むとご飯が炊いてあって、おばさんが何人も出てきて、手を真っ赤にしておにぎりを握っている。と、さっとかけ戻ってきて、ちょっと張り切って働こかということになる。

ところが湯気も出てない。鍋釜の音もしない。おばさんの手も赤くなってない。何が出て来るのかと思ったら、トコロテンが出てきまして。トコロテンに代用醤油をかけて食べる。こういうのは不景気で何日たっても貯水池があがらない、へろへろへろへろして。貯水池の製造法もここで説明してもいいんですけれども、なかなかこの、技術も粘土もたくさん要るんです。

そのうちに空襲が始まるようになったときにこの貯水池を掘ったがために、貯水池にホースをぶっこんでポンプをがたぽんがたぽんやって水で消すことを考えていたんですが、油脂焼夷弾、黄燐焼夷弾というものすごいものが落ちてきまして。当時〝モロトフのパン籠〟という渾名がついていたんですが。何十本かが鋼鉄のベルトで束になっている。それが落ちてきてはじけるんで、ポンプでがたぽんがたぽんなんて騒ぎじゃない。

それどころか家から逃げ出してきた人が、空き地がある、水がある、というので貯水池に飛び込んで溺れ死んだっていう例がいくつとなくある。俺たちが祖国の命令で、祖国のために働いた結果、こんなにたくさんの人が死んだと思わせられて、しかしお国のためだという弁解が成立していってる。見るのは無惨極まる死体なんですけれども祖国のためという口実があった。