「戦争、貧困がなければ、僕は物書きにはならなかった」
〜作家・開高健「幻の講演」全文掲載(前編)

「成人の日」特別企画
開高 健

講演を引き受けない理由

朝日新聞に与えられた題は『世界の町から』という題なんですが、それで話をしてもできないことはないんですけれども、こういう母校へ36年ぶりに帰るので、何をしゃべっても構わんというふうにしていただけないか、『昔、ここであったこと』という題に変えていただけないかと言いましたら(笑)、よろしいということになったんですけれども。

朝日(新聞)がまた輪転機に巻き込まれて忙しい会社で、係の人がそれを忘却つかまつってしまいまして連絡が遅くなって、ここにはこういうふうに(演題が)書いてある。変えることができなかったんですが、私としては『昔、ここであったこと』ということで取り留めもなくしゃべりたいと思います。

小説というのは中国から来た文字で、日本人の作った字ではないんですけれども、小説家というのは、これは何かというと、読んで字のとおり、小さな説を書いて飯を食うている奴のことであって、宗教家とか学校の先生とかいうのが大きな説や中くらいの説をお唱えになる。

政治、経済、哲学、いろんなものから漏れ落ちていくものがある。小さなもので実は重大なものがあって、小さいものの中から重大なものを発見するお節介な輩がいて、これが小説家なんです。

ですから私の話も、小さなことに終始するんで、ノートなんかは絶対にお取りにならないようにお勧めしたいんです(笑)。

時々、講演に行くとノートを取られることがあって、へこたれてしまうんですけど、おっさんになったのには違いないんですけれども未だに内気ではにかみ屋なもんですから、こういう高いところに出るだけで心臓がどきどきしてしまってですね。

それじゃ講演を引き受けなければいいじゃないかというので、二十何年引き受けなかったんですけれども、とうとう出てくる羽目になってしまったんです。おかしければ笑い、おかしくなければぶーっと脹れて聞いてくださってればいい。ここを出た途端に忘れてくださってもいいような話なんです。

またあの世代がやってきて、鬱陶しい話しているわということでも構いません。だいたい我々の世代は夜ごと集まると豆滓(まめかす)食った話ばっかりしているんです。

野坂(昭如)とか小松左京とか小田実とかいうのがいますが、それぞれ学校は違う--小田はここの学校で、私の1年ぐらい下です--けれど、何でもいいから随筆書いておくんなはれと言われると豆滓の話を書いているんです。焼け跡の水道の水が迸(ほとばし)って虹がかかっていたとか。何十回書いたか。野坂、もういい加減にしたらどうや、と。虹がこうなるばっかりやでと。

諸君らが現実に今そうですけれども、諸君らの年齢から始まって24、25歳くらいまでのときの経験--経験というのは毎日24時間寝ることを含めての経験--ここで味わったことが後世を支配することになる。なかなか恐ろしい時代なんで、その頃に覚えたのは忘れようにも忘れようがないんです。才能がなくて、他に書くことがないというのもあるんですけれども、つい豆滓の話を書いている。