為末大が問う「東京五輪っていったい何のためにやるんですか?」

メダル獲得より大事なスポーツの価値とは
佐藤 慶一 プロフィール

ダイバーシティ=マイノリティ支援ではない

東京五輪でも、渋谷区の「同性パートナーシップ証明書」交付の話でも、「ダイバーシティ」という言葉をよく聞くようになりました。

ダイバーシティは端的に「マイノリティを支援しよう」ということかもしれませんが、本質論でいえば「マイノリティのエネルギーをうまく使おう」ということだと思います。マイノリティが困る社会ではなく、マイノリティが価値を生み出せる社会です。

好きな話に、全盲の選手と車いすの選手が一緒に移動する、というものがあります――。

どうやるかというと、車いすの選手が方向を指示して、全盲の選手が車いすを押すんです。とてもシンプルですが、現状の障害者の支援というと、全盲と車いすの方のどちらにも支援するとなりがちです。でも、本来は双方のもつ価値や役割を提供し合うことが大事だと思います。

これからの少子高齢化社会、労働人口は減り、障害者や認知症をもつ人は増えるでしょう。人の障害はますます多様になり、年の取り方も多様になるため、それぞれがまんべんなく、もっているものを分配することがカギになります。そのことが、ダイバーシティの本質だと思うんです。

現代社会では人の役割が決まりすぎている気がするので、高齢者でも働いたり、賢い人がどんどん意思決定に関わったり、障害者同士が価値を提供し合ったり……。それらの資産が東京五輪後に見えてくるといいなと思います。

パラリンピックの課題

先ほどパラリンピックに注力するといいましたが、いくつも課題はあります。たとえば、盛り上がりの違い。これを解消するには、遠慮なくいえば、おもしろくするほかありません。「パラリンピックを応援しましょう」と言っているのは、野球でいえば「好きな球団を応援しましょう」と言っているようなものです。

でも、よく考えてみると、ふつうは「応援しましょう」と言われて応援しているのではなくて、「応援したくてしている」だけです。パラリンピックは社会的にすばらしいかどうかを喧伝するのではなく、おもしろくすることが先決だと考えています。

おもしろいものを見たいのは、人間の欲求の本質だと思います。東京五輪を真面目かつ正しい路線で攻めてしまうと、その正しさは2020年で終わってしまうのではないかとやや不安です。

スポーツ界だけを見ていれば、東京五輪の成功がゴールなのかもしれないですが、社会のほうを向くと五輪後の社会――これまで隠れていた問題の表面化とそれに対するアプローチ――を真剣に考えなければいけません。

今年の春にはXiborgの新義足が完成予定です。実際の競技にも利用できるので、2016年リオ五輪に出場するような選手を輩出できればと思います。

ただ、障害者スポーツの世界では、障害の種類が多いことから、競技数も多く、コーチが圧倒的に不足しているんです。善意での活動や専門ではない場合も多いので、各コーチがさまざまな情報にアクセスでき、レベルアップできるシステムが必要でしょう。

ぼくはそもそも競技数を減らしたほうがいいと思っています。健常者よりも選手数が少ないのに、種目数が多いために多数の選手が出場できてしまう状況です。これでは競争があまりないので、スポーツとして健全ではないと考えています。2020年まであと5年、多くの人にパラリンピックはおもしろいと思ってもらえるように、さまざまなところでかかわっていきたいです。