巨匠・筒井康隆が最後の長編小説『モナドの領域』を語る
「究極のテーマ『神』について書いたので、これ以上書くことはない」

超自然を設定することで自由になれる

―小説内では『カラマーゾフの兄弟』の「大審問官」の部分にも触れていますね。

ああ、そうです。『カラマーゾフの兄弟』は大昔、読もうとして挫折したんです。でも人に亀山郁夫の新訳なら分かりやすいと言われて読んだら、めちゃくちゃ読みやすかった。それもこの小説を書く直前に読みましたね。

―テレビ討論では経営不振の小出版社の社長に〈GOD〉が、表紙も中味も真っ黒な本を作れば売れる、とアドバイスしていて、実際あったら欲しいなと思いました。

久米宏の番組に出演した時、いろんな書店を紹介していて、店主が作った「黒い本」というのがあったんです。それは箱が黒くて、中味が分からないというものでした。そこから、中味も黒い本を作ったらどうか、というのを思いついたんです。

―神というテーマはこれまでにも、たとえば『エディプスの恋人』で「宇宙意志」という存在をお書きになっていました。今回の作品内の〈GOD〉も、人間に対し慈悲深いわけではなく、「お前さんたちの絶滅は実に美しい」と言い、人々は言葉を失います。

宗教的な神は病気の子供を治す奇蹟を起こしたりしますが、僕はそうした神の存在を否定する側にいます。本当にいるなら、こんな世の中を放っておくわけがないですから。だから、自分にとっていちばん納得のいく神様を考えるわけです。

『エディプスの恋人』の後もカントールやトマス・アクィナスを拾い読みしてきて、ライプニッツのモナド論を読んだ時に「これだ」と思いました。どんなに悪いことが起ころうがもう変えようがないのは、すでにそれがプログラムされてしまっているからだ、と思えば納得できます。

―〈GOD〉の口から「読者」という言葉が出てきた時には、自分を指していると分かってドキリとし、小説世界に参加している気分になりました。その場面で「パラフィクション」という珍しい言葉が登場しますね。

僕は主人公が自分はフィクションの中の存在だと知っているという、メタフィクションを書いてきました。でも公開議論をした時に、批評家の佐々木敦が「そこに読者も加えたものがパラフィクションだ」と言っていたんですね。その議論が面白かったので、「パラフィクション」という言葉を出しました。

―神の話は可能世界についてまで広がり、やがては辿りつく片腕の事件の真相に驚きました。

全然違う話を思いつきで繋げた小説なので、読み返して自分も「いい加減なことを書いているな」と思いました。ですがリーダビリティ、つまり「読み続けられやすさ」は非常にうまくいきましたね。

大昔の批評家のジョン・ベイリーが「小説は実にいい加減なものだから快い」と言っていて、本当にその通りだと思います。ただ、後半に出てくる「ブーロスの公理」に関しては、哲学者の青山拓央が確認してくれています。

―それにしても、帯に「おそらくは最後の長篇」とあるのが気になります。

僕にとって最終的なテーマであり、おそらく文芸にとっても最終的なテーマである神について書いたので、もうこれ以上書くことはないんです。

まあ、ここからは冗談ですが、たとえばこれで文芸賞をとったら、主催社の雑誌に何か書かなくちゃいけない。しょうがないから「カーテンコール」というタイトルで、私の小説の主人公が次々と出てくる話を書きます。

それでもまだ注文をよこすようだったら「プレイバック」というタイトルで私の小説のあちこちの文章をぐちゃぐちゃに繋げたものを書きます。そうしたらさすがに編集者も呆れて、注文がこなくなるでしょう(笑)。

つつい・やすたか/'34年大阪府生まれ。'81年『虚人たち』で泉鏡花文学賞、'87年『夢の木坂分岐点』で谷崎潤一郎賞、'89年「ヨッパ谷への降下」で川端康成文学賞など受賞多数。'02年に紫綬褒章、'10年に菊池寛賞。『世界はゴ冗談』他

モナドの領域
新潮社/1400円

著者自ら「わが最高傑作にして、おそらくは最後の長篇」と宣言する究極の小説、ついに刊行! 河川敷で発見された片腕はバラバラ事件の発端と思われた。美貌の警部、不穏なベーカリー、老教授の奇矯な振舞い、錯綜する捜査・・・・・・。だが、事件はあらゆる予見を越え、やがてGODが人類と世界の秘密を語り始める――。巨匠が小説的技倆と哲学的思索の全てを注ぎ込んだ 超弩級小説。

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『週刊現代』2016年1月2・9日号より