「おみくじ」の秘密
〜その起源から大吉と凶の割合、製造元まで

ルポライター坂上遼「百聞一見探訪記」
週刊現代, 坂上遼 プロフィール

現在のおみくじのルーツは、明治38年(1905年)に遡る。二所山田神社21代目宮司・宮本重胤が、当時男性しかなれなかった神職に女性も登用すべきだと訴えて大日本敬神婦人会を設立する。この運動や機関誌「女子道」を発行する資金を捻出するべく考え出されたのがおみくじなのである。

当時は、大きな神社が作る木版のおみくじしかなかったため、全国の神社に喜んで迎えられた。文面には、「明星派」の歌人だった重胤が詠んだ和歌や神道訓話が掲載され、「吉凶」を占う今日の神社のおみくじの原型となった。大正時代には、「自動おみくじ箱」を考案し、ますます普及していった。

「女子道社」のおみくじは、金文字で「御神籤」と書かれたものや御幣の絵柄があるもの、神社の名前が印刷されたものなど18種類で、全国シェアは60%以上と言われている。ちなみに二所山田神社で引けるおみくじは、20円という安さ。こちらも驚きだ。

鹿野地区では、おみくじ作りは地元の主婦が家庭で出来る内職として定着している。実際にどうやって作るのか、その作業風景を見せてもらった。

おみくじは、創業当時と変わらず印刷を除けばすべて手作業。主婦は、1枚の大きな紙に9個印刷されたおみくじの端に糊をつけてから折り畳み、それを「押し切り」という断裁機で、切り離す。おみくじの数は一番から五十番まで、1000枚1セットで箱に詰めていく。

この間80分ほどだが、ベテランになると1日約7000枚は折るという。隣にいたご主人が「私がやると、おみくじの表紙がピッタリ(正面に)来ないんですよ」と笑う。

歴代の宮司はおみくじについて「心を落ち着けて引き、読んで心に残ったところを胸に留め、事あるごとに読み返して生活に生かすように」と語っているという。

最後に、初詣で「凶」を引いた人のために、前出の元神明宮青木大和宮司の話を紹介しておこう。

「凶が出ても、気にしてはいけません。凶の字をよく見ると植木鉢にメが出た図ではありませんか。これから芽が伸びて成長するという啓示です」

さかがみ・りょう/'52年、大分県生まれ。本名・小俣一平。元NHK社会部記者。現在東京都市大学教授。著書に『消えた警官』『ロッキード秘録』(いずれも講談社)、『無念は力』(情報センター出版局)、『新聞・テレビは信頼を取り戻せるか』(平凡社新書)ほか

「週刊現代」2015年1月2日・9日合併号より