なぜ「少年A」の実名報道をためらうのか
~少年法。その”聖域”に踏み込む

藤井 誠二

実名報道されなければ、立ち直るのか?

私は、実名報道は少年法61条だけの範疇で考えるられるべき問題なく、犯罪報道の社会的意義や、社会の知る権利に答える「犯罪報道」のレベルで考えることだと考えてきた。どこの誰が事件を起こし、その背景には何があるのか、どうしたらこのような事件を防ぐことができるのかを考えるための公益性の高い情報の提供は重要である。

犯罪報道の正確性や記録性を鑑みれば、実名や写真も大事なファクトの一つであり、加害者の生活史や家族などのプライバシーに踏み込むことも時には必要だろう。

それから、そもそも実名報道が、加害少年の社会復帰を阻害するのだろうか、という疑問に立ち返る必要もあるのではないか。たしかに少年は大人に比べて「可塑性」があることは確かだろうから、実名報道が更生を妨げるというロジックはわからなくもない。

実名報道されたせいで社会はみんな自分のことを知っていると思い込み、街も歩けなかったと言った殺人犯の元少年の証言を法廷で何度も聞いたことがある。しかし彼らは出所後に再犯をして、再び犯罪者となっていた。そう思い込むのはとうぜんの人間心理だとしても、それは実名報道のせいなのだろうか。

それは彼の生き直したいという努力不足や、帰住先等の環境が整っていなかったからではないか。それを単に実名報道にすり替えてはいないだろうか。

では、実名報道されなかった者たちは立派に更生して、贖罪の道を歩んでいるといえるのだろうか。私は今回、『「少年A」被害者遺族の慟哭』を取材する過程ではそうではないことを確信した。というより、実名報道が少年の更生を阻害するかどうかは、エビデンスとして立証のしようがないと思う。

実名報道に関係なく、立ち直るためには深い自己反省や更生をうながすための大人のサポート、更生プログラム、被害者への弁済のためのサポート等、多くの人的資源が必要で、その可否が、贖罪の方向性を決めていくのだと思う。実名報道に責任を転化しているようでは、贖罪の入口にも入っていないと私は考えてしまう。

実名報道された二十歳以上の者は社会復帰ができにくいという、はっきりとしたエビデンスがあるのかどうか。実態はどれほど詳細に把握されているのだろうか。もしかしたら社会復帰の妨げになるというロジックは水掛け論や方便にすぎず、ある種の「少年法神話」のようなものかもしれない。そうも私は思ってしまう。