なぜ「少年A」の実名報道をためらうのか
~少年法。その”聖域”に踏み込む

藤井 誠二
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記者たちはどう考えているのか

バルガー事件を例に出すまでもなく、欧米では、刑事裁判に付された少年の実名を報道してはならないとするルールも不文律もない。日本の家裁にあたる裁判所で扱われた少年事件については匿名が原則だが、ケースによっては実名報道をすることがある。

実名報道をする場合、犯罪の様態や、被害者の年齢、加害者の年齢等について業界の横一列的なルールはなく、あくまで各メディアの判断に委ねられている。そういった判断基準について事件ごとに議論を闘わせ、自分たちでつくり上げていくこともジャーナリズムの重要な使命だと考えられているからだ。

少年法は2001年から、少年によって家族の命や人生を奪われた犯罪被害者遺族の思いを反映させるかたちで改正や運用の変更が4度繰り返されてきた。被害者・被害者遺族たちの要望は多岐にわたったが、被害者の実名や名前が報道されることには規制がないのに、加害者は自動的に最初から「少年A」になってしまうのは理不尽だという要望も含まれていた。

最初から加害者の「顔」がなくなってしまうことは、事件が、発生直後から風化を始めてしまうのではないかという恐ろしさを感じた、と言う遺族もいた。

そうした状況と並行するかたちでインターネットでは──、それまでメディアがまがりなりにも61条を遵守してきた歴史や背景など無視をするように──加害少年の実名や写真、住所、家族関係等がばらまかれている。昨年2月に神奈川県川崎市で起きた13歳の少年が殺害された事件では、加害少年(18歳)の自宅前から十代前半の少年が動画中継して話題になった。

少年はハンドルネームを使ってはいたが、顔を出して悪びれることなく中継をおこなっていた。彼の言い分は、自分の行動はネット時代の「市民報道」だと堂々と主張していた。

私は過日、メディアの幹部記者が集まる会合で、もっと各社の自主性や独自の判断で実名報道をするべきではないかということを提言してきた。そこには頑なに守ってきた新聞社からゲリラ的に破ってきた出版社まで、幹部が揃っていた。

そこで意見交換を多くの記者としたが、記者個人としては実名報道すべきだと考えているほうが多く、会社の方針と乖離しているのが私の印象だ。少年法61条に縛られる必要はないと考える記者のほうが、じつは多いのではないかと私は思っている。