誰もキリストの誕生日を知らないのに、クリスマスが12月25日になった理由

【新連載】クリスマスと日本人(2)
堀井 憲一郎 プロフィール

ローマ帝国は、衰え始めた帝国を維持しようとして、「強く人々を団結させる力を持つキリスト教」を帝国の中心に据えた。しかし、ローマ帝国はキリスト教を国教化してから百年も保たず滅び、そしてキリスト教が西欧世界を千年にわたり支配する時代がやってくる。

キリスト教は、各地に残るいろんな土俗宗教を併呑していく。ただ一方的に駆逐するわけにもいかず、さまざまな習俗をキリスト教に採り入れていくことになった。

「イエス=キリストの降誕の日」はキリスト教にとって大事な日ではあるが「12月25日」はべつだんキリスト教の日ではなかった。太陽信仰の日であった。その土俗的習慣を採り入れながら、上から重く「聖なる降誕日」という重しを載せ、かつての〝野蛮な習俗〟に気づかれないように荘厳な儀式の日にしていった。

それが、中沢新一の表現によれば「ヨーロッパ世界の教会が千年ものあいだ抱え込んでいたジレンマ」ということになる(「サンタクロースの秘密」)。

神がキリストの形を取ってこの世に降誕したことを信じない人たちでも、この時期には日常と違う空間にいたい、という気分だけは受け継いでいった。キリスト教を信奉する人には神の日となるが、信奉しない人にとっては、ただのお祭りの日となる。

キリスト教が古代習俗をカプセルに入れて近代まで運んできた、と見ることもできる。千年のジレンマが解けると、冥府の使いが現れた。サンタクロースは、一種の破壊神として、クリスマスに忍び込んできた。

どうして千年の封印が解けたのか。そこには〝近代〟が関わってくる。

資本主義社会により、キリスト教の向こうにある〝祭り〟がひっぱり出されてきた。

大衆社会、消費社会となり、キリスト教の重しが取られ、クリスマスは別の祝祭となっていく。

サンタクロースを破壊神たらしめているのは、おそらく資本主義社会の精神だろう。キリスト教に支配された千年王国も不思議な世界であったが、資本主義がもたらす長き王国もまた、まっとうな社会には見えない。違いは〝狂気〟をどこに保持しておくかという置き場所の違いにしか見えてこない。

(第3回「秀吉と家康がキリスト教を弾圧した理由」はこちら