誰もキリストの誕生日を知らないのに、クリスマスが12月25日になった理由

【新連載】クリスマスと日本人(2)
堀井 憲一郎 プロフィール

このころ(キリスト死してのち三百年経ったころ)ナザレのイエスが、いつ『神の子として顕れたのか』というポイントにおいて、いくつかの分かれた意見があった。

ひとつは「イエスが洗礼を受けたとき」に神の子になったという説があり、つまり洗礼まではふつうの人間だったということになる。(キリスト教と関係のない私から見れば、ごくまっとうで穏当な意見におもえるのだが、そういう問題ではないらしい。)

それに対して、イエスはもともと神の子であり、生まれ落ちたときより神の子であり、救世主として顕現したという考えがある。これが正統派教理となった。人として生まれ、神の声を聞いて神の子となったという考えは異端とされ、徹底的に排除されていく。

それが確定したのが、325年のニケイヤ公会議である。

キリスト生誕日が、つまり神として地上に現れた(顕現した)日となった。神が人の世に降誕した日である。大変な日ですね。つまり「キリストが生まれた日」は〝偉大な人の生誕の記念日〟ではなく、「神が地上に顕現した日」として、とても大事な日だということになったのである。

なぜ12月25日が選ばれたか

4世紀になって、つまり300年も経ってから、そんなことを急に言われてもどうしようもないだろう、というのが、脇から眺めてる正直な感想なのだけれど、当事者はそんなことは言ってられない。

正統派(を名乗る)キリスト教団はキリスト降誕の日を決めなければいけなくなった。降誕日を「あらたに制定する」必要が出てきたのである。

 

そして12月25日が選ばれた。関係者によって積極的に選ばれた。イエス=キリストが降誕した日が何月何日だったのか、だれもまったく知らないなかで、えいやっと、12月25日が選ばれた。これが本当にキリスト生誕の日である確率は、そのまま365日分の1である。

ではなぜ12月25日になったのか。