誰もキリストの誕生日を知らないのに、クリスマスが12月25日になった理由

【新連載】クリスマスと日本人(2)
堀井 憲一郎 プロフィール

想像していただければわかるが、自分の生まれた年月日というのは、それを見ていた他人に教えてもらわないかぎり、本人は知ることができない。記録されてないその月日を、いちいち教えてもらえることは少なかった。年だけを教えてもらっていたはずである。だからみんな自分の生まれた日月については知らないまま生きていた。

すべての人が自分の誕生日を知っているということは、国家組織による強制である、という自覚くらいは持っていたほうがいい。(もちろんそれによって国家からのいろんなサービスも受けられるのだけどね。)

人は死んだ日で記録されるだけであった。

中世以前に、庶民の生まれた日が記録されていることはない。

たとえば、古い時代の歴代ローマ教皇の事歴を調べてみればわかる。だいたい生年月日が不明であり(ないしは生年が推定されているだけであり)、死んだ年月日がわかっている。

そういうものである。

 

ローマ帝国とキリスト教

「キリストが誕生した日」が問題になるのは、ローマ帝国内にキリスト教が広まりはじめたころからだ。

4世紀のコンスタンティヌス帝の時代のころ、「12月25日を降誕の日とする風習」が広まっていった、とされている(『クリスマスの起源』O・クルマン、教文館)。

コンスタンティヌス帝は〝ミラノの勅令〟(313年)によって、帝国内のキリスト教の存在を認めた皇帝である。

そもそも、キリスト教はローマ帝国内の秩序とあまり合致した存在ではなかった。ローマ帝国内は多神教を基本としていたので、自分たちの神以外を認めようとしないキリスト教はかなり面倒な存在だったのだ。

それが4世紀に入り帝国の力が衰え始め、キリスト教を積極的に認める皇帝が出てくる。帝国側がキリスト教のシステムを利用しようとしたのである。

以下、余談ながら、帝国の衰亡にともないキリスト教強大化の流れは止まらず、392年、ついにテオドシウス帝はキリスト教を国教化する。

神の意志をキリスト教が伝えているというシステムを取っているかぎり、国教とした時点で皇帝はキリスト教の(具体的にはその司祭の)下に立つことになる。それは皇帝もわかっていたはずであるが、避けられなかった。どうしても「テオドシウスははめられた」という印象をもつ。国教化によって長きローマの伝統は、断ち切られた。