「信頼される人」になるために、知っておきたいこと〜なぜ人は人を信頼するのか?

得るのは難しく、失うのは簡単
中谷内 一也

シンジ君 言えるわけないでしょ。ものすごく疑っていますよ。ナカヤチさん、そんな装置をつけないと浮気を抑えられないんですか!?

ナカヤチ 私の女性関係は放っておいて下さい。いずれにせよ、私には性交渉する能力があり、幅広く遺伝子を残そうとする生物学的な欲求もあるかもしれない。

けれども、浮気することで私に瀕死の代償がもたらされるしくみが整っている。妻はそのことを知っているので、私が浮気しないと確信する。しかし、シンジ君はそんなものは信頼とは認めない。

一方、赤鬼には村人を食べる能力があり、食べたいという欲求もあるかもしれない。けれども、村人を食べると結局は自分が死ぬしくみになっている。村人はそのことを知っているので、赤鬼が自分たちを食べないと確信する。浮気の話と構造は同じでしょ。

で、シンジ君はそんな村人の赤鬼に対する信頼も本当の信頼とは言えないと感じる。同じ構造で、同じ判断をしているのでシンジ君の信頼感覚はちゃんと一貫していますね。

確かに、相手の行為が監視され、裏切りに対して制裁が発動されるしくみのもとで、相手は裏切らないと確信することは、信頼とは言えないという考えがあります。本当に信頼していたら、こんな時計など装着する必要はありません。

本当の信頼とは、爆発時計などなくても、夫は絶対に浮気はしないと確信することです。村人が赤鬼を本当に信頼するというのは、たとえ、青鬼が駆逐され、もはや村人の対青鬼防御力が不要になっても、赤鬼は決してわれわれを食べないだろうと確信することに他なりません。

シンジ君 それはそれで難しそうですね。赤鬼に元々人間を食べる性質があるなら、青鬼の脅威が去ったあとは自分たちが食われることになるんじゃないか。そう不安になるのは当たり前のような気がします。

ナカヤチ そうですね。ですから、信頼の不足を補うために一定の足枷は必要と思われていて、世の中にはいろいろな監視と制裁の制度があるわけです。

けれども、この足枷の存在を前提としてその取り扱い次第で、逆説的ですが、足枷なんて不要だという気持ちになることもある。つまり、監視と制裁の使い方次第で、本当の信頼が生まれることがあります。この問題については後ほど説明しましょう。

企業が不祥事を起こすと、「これからは透明性を高めて外部への情報公開を進め、信頼を取り戻す」と宣言するでしょ。さっきからの議論に基づけば、それは本当の信頼ではありませんね。

透明なところで悪いことをしないのはしょせん自分がかわいいから当たり前、と解釈されてしまい、そんなものは本当の信頼とは呼べない。

本当の信頼は不透明な状態であっても、情報が外に出て来ない状態であっても、その企業は後ろ暗いことを絶対にしない、と社会から評価してもらうことです。

でも、そのための第一歩として、透明性を高め、情報公開を積極的に自主的に進めることは重要です。「高い透明性や情報公開に基づく信頼は本当の信頼ではない。わが社は本当の信頼を目指すので、不透明な経営を行い、情報はできるだけ秘匿する」と言ったら、人びとからの信頼がどうなるかを考えればわかりますよね。

シンジ君 「こんな爆発時計に支えられる信頼関係は本物ではない。だから、早く取り外してくれ」って言うと、奥さんから一層怪しまれるっていうことですね。どうでもいいですけど、その爆発時計、早く何とかしてくれませんか。

ナカヤチ 大丈夫、ウソですから。

シンジ君 ナカヤチさん、バカですか。

ナカヤチ 私と妻は、お互いを思いやり、相手が不快な気分になるようなことはすべきでない、とパートナーシップについての主要な価値を共有しています。ですから、他の女性に対する私の性的能力や動機づけなどは超越した深い信頼関係にあり、したがって監視や制裁装置は不要なのです。

シンジ君 そういうことって自分で言うとウソくさいですね。

ナカヤチ しかも、一度ウソくさいと思うと、私の言うことはどんどんウソくさく聞こえてくるでしょう。明日はそのしくみについてお話ししましょう。

中谷内一也(なかやち かずや)
同志社大学心理学部教授。博士(心理学)。 専門は社会心理学。人が自然災害や科学技術のリスクとどう向き合うのかというリスク認知研究、および、リスク管理組織に対する信頼の研究を進めている。著書として『安全。でも安心できない』(ちくま新書)、『リスクのモノサシ』(NHKブックス)、翻訳書に『リスク』(丸善サイエンス・パレット)。論文”The Unintended Effects of Risk-Refuting Information on Anxiety”がRisk Analysis誌の2013年最優秀論文賞受賞。