「信頼される人」になるために、知っておきたいこと〜なぜ人は人を信頼するのか?

得るのは難しく、失うのは簡単
中谷内 一也

ナカヤチ オリジナルの赤鬼の話に戻りましょう。シンジ君が村人だとして、赤鬼が「村のみなさんのために青鬼を退治しました」と言ったら、素直に信用しますか? 

それまで、鬼は人を食べると思っていたのですよ。その鬼の一種である赤鬼が、突然、村人のために何かしてくれて、それで仲良くしようと言ってきたら怪しいとは思いませんか?

私は油断させておいて、捕って食らおうとしているんじゃないかという、木こりたちの推論のほうがまっとうだと思います。「あの鬼が食用以外の目的で人間に近づいてくる理由はない」と思えるからです。

シンジ君 そんなふうに考えるなんて、ナカヤチさん、なんか悲しい人ですね。

ナカヤチ この際、私はどうでもいいのです。シンジ君が私の考えを邪推だとか懐疑に過ぎると思うのは、童話の冒頭で、赤鬼が心の底から人間と仲良くしたがっている状況を知っているからではないですか。でも、村人にはそんな知識はありません。

人を食う恐ろしい存在である青鬼が一匹やって来て暴れ出し、そうかと思うと、まもなく赤鬼がやって来て勝手にケンカをしてやっつけてしまう。そのことをもって「赤鬼は人間を食わないんだ」「人間と仲良く暮らしたいんだ」と確信できますか?

シンジ君 まあ、そう言われると、それだけでは難しいかもしれませんね。

ナカヤチ 何年も仲違いしていた知り合いが突然菓子折りを持参して、「これをあげるから、これから仲良くして下さい」と言ってきたら、喜んで菓子折りをもらいますか?

シンジ君 いえ、絶対何かウラがありますから、そんな菓子折りは受け取らないほうがいいです。

ナカヤチ そんなふうに考えるなんて、シンジ君、悲しい人ですね。

シンジ君 ……。

ナカヤチ 冗談です。でも、童話の読み手の立場のように、その知り合いはシンジ君と仲違いしたことを心から後悔していて、本気で仲直りすることを望んでいる。そして、シンジ君がそのことを知っているとすれば、菓子折りを受け入れて、仲直りするかもしれませんね。

では、信頼の基盤になる別の要素の話に戻りましょう。また、思考実験です。ちょっとややこしいですけど、次のような状況を想像して下さい。

鬼界では青鬼と赤鬼が勢力争いを繰り広げており、赤鬼は劣勢で民族存亡の危機に瀕している。赤鬼の防御力だけでは青鬼の攻撃を跳ね返すことはできない。

同じように、村人も青鬼に苦しめられていて滅亡の危機にあるが、自分たちの防御力だけでは青鬼の攻撃を跳ね返すことはできない。

けれども、赤鬼と村人の防御力を合わせると何とか青鬼の攻撃に耐えられる。さて、このとき、村人は赤鬼が自分たちを捕って食うと思うでしょうか?

シンジ君 たぶん、大丈夫だと思うでしょう。もし、村人を食べてしまうとその分の防御力がなくなって、結局、赤鬼族が滅亡することになりますから。赤鬼は自分たちを守るためには、むしろ、村の人たちと仲間になったほうがよい。そのことは村人にもわかるでしょう。

ナカヤチ そうですね。そして、赤鬼と仲間になったほうがよいという事情は村人にとっても同じです。村人も赤鬼の力がないと青鬼の攻撃で村は壊滅しますから。そのことがわかるので、赤鬼も村人が裏切るんじゃないかと心配する必要はない。

赤鬼と村人は、青鬼という共通の脅威にさらされ、そこで生き残るには協力し合ったほうがよいという状況、ひと言で言うと、利害が一致した状況にあります。このとき村人は、「赤鬼は人間を食べようと思えば食べられるけれど、つまり、自分たちには食べられるリスクはあるけれど、赤鬼はそんなことはしないはずだ」と確信を持てるでしょう。

つまり、お互いが協力し合って一緒にやっていこうという気持ちになる根本的な理由は利害の一致にあり、それによって、パートナーが高い動機づけを持って能力を発揮するはずだと期待できるというわけです。