「信頼される人」になるために、知っておきたいこと〜なぜ人は人を信頼するのか?

得るのは難しく、失うのは簡単
中谷内 一也

信頼とは

まず、そもそも信頼とは何かを解説しましょう。

信頼という言葉は身近ですが、概念的にはかなりあいまいです。信頼についての心理学の論文では、たいてい冒頭に「信頼概念はあいまいで多様だ」と示し合わせたかのように書かれています。

けれども、多様な中にもおおよそ共通する要素があります。それは「相手は自分に被害をもたらすことができる状況にある。しかし、そんなことはしないはずだ」と思い、相手に自分の利害を委ねることです。つまり、相手から被害を受けるリスクがあるからこその信頼なのです。

そして、なぜそんなリスクをとるのかというと、その相手と関係を持つことで何らかのメリットが期待できるからです。

赤鬼に対する村人の信頼は、一緒にお茶を楽しむようになったことで表現されています。赤鬼の家で無防備にお茶をする、ということは、赤鬼が乱暴狼藉を働こうと思えばそうできる状況に、村人がわが身を置くということです。

しかも、おっかなびっくりではなく、「この善良な赤鬼が悪いことをするはずはない」と確信し、自分の意思で身を置いているわけです。もし、赤鬼が赤ちゃんのように無力であれば、そのかたわらでお茶や食事をすることには何のリスクもないので、その行為は信頼とは関係ありません。

では、この場合、村人が赤鬼とつきあうメリットとは何でしょうか。

童話のように、赤鬼が強いなら、青鬼が襲来したときにまた助けてもらえるというメリットを期待できます。しかしそういった実利的なメリットだけでなく、一緒にお茶を飲みながら会話をするということ自体が楽しい、これもメリットに当たります。実際に童話では、村人はむしろその方向で赤鬼と接しているようです。

つまり、リスクのある状況で相手を信頼するのは何らかのメリットを期待してのことが多いが、そのメリットとは必ずしも金銭や財産、身体(の安全)といった即物的なものばかりではなく、もっと主観的な満足や喜びまで含まれる、ということです。

さらに言うと、客観的には相手が自分に被害をもたらし得る状況にありながら、主観的にはそういうことを意識しない、つまり、リスクがあるとかないとか、信頼するとかしないとか、そういうことを考えもせず相手との関係を持ち続ける、という状態が究極の信頼と言えるでしょう。

以上が信頼の概念についての基本的な説明です。

信頼を導く要因

シンジ君 さっき、負けた赤鬼が信頼できるかと想像してみたときに、話がややこしくなりました。「戦闘能力が低いから警護は任せられない」とか、「でも、村人を守りたいという気持ちは確かだと思う」とか。

それで、信頼にもいろいろあるということは何となくわかりましたが、もう少し中身をスッキリさせたいです。

僕が悩んでいるのも、「うちの社に対する社会からの信頼向上を考えろ」と言われても、そもそも信頼って何か、中身はどうなっているのか、何がどう変わったら信頼が向上するのか、そういったことがよくわからないところです。

信頼とは何かについては先ほど説明していただきましたが、信頼の中身や条件についても整理していただけると助かります。

ナカヤチ 信頼の中身がいろいろあって、単一の要素でないということは、言い換えると、わが身を委ねて、自分の利害を任せようという気になる条件は一つだけではないということです。

では、そこにはどういう条件があって、それら条件の間にはどんな関係があるのか? これは信頼研究の中心的なテーマで、わかりやすく説明するのは難しいけれど、やってみましょう。