誰も知らないヘッドホン「奇跡の復活劇」
〜その普及と進化はくらしをどう変えたのか?

私的空間への欲求と科学神話の時代
原 克
〔PHOTO〕gettyimages

「インスタント・プライバシー」という本質

磁界を使わずに静電気システムで高音質を確保するタイプ。ダイナミック式ヘッドホン、ステレオタイプ、ノイズカット式ヘッドホンなど。さまざまな新機軸が市場に登場し、ボクらの音響生活を「洗練」してゆくことになる。

名物コラムニストの科学記事も、ヘッドホン奇跡の復活を分析し、原因が「半導体ステレオFMレシーバーにも匹敵する高音質」と「低価格」であると結論しつつ、もちろん、そうした趨勢をことほいでいる。

そして科学記事は、こうした技術改良によって「もたらされる恩恵」を、次のようにうたいあげてみせる。

「ヘッドホンを両耳にかけてごらんなさい。クーラーや暖房のガーガーいう音、台所のガチャガチャいう音、だれかが電話でお喋りしているイライラさせる声。こうした、あわただしく騒々しい生活の、あらゆるくだらないことどもから、魔法のように、一瞬で逃れることができます」。残るのは、「あなたと音楽だけ」なのですから。

そして最後に呼びかける。「いちど試してごらんなさい。インスタント・プライバシーが手に入れられますから」。これである。

私的な時空間を称揚するにあたり、家庭内の生活音を騒音視するという一面性は、ひとまず措くとしよう。それにしても、「インスタント・プライバシー」とは、秀逸な修辞法といわざるをえない。さながら即席ラーメンのように、お手軽に、手早くプライバシーを手にすることができる。なるほど「即席プライバシー」である。

秀逸な修辞法といえよう。なぜなら筆者の意図を越えた次元で、ことの本質をあぶりだしているのだから。その本質とは何か。

19世紀前半、産業革命にともない都市化が進むにつれ、公的生活と私的生活という二元論が、ライフスタイルの基本形となっていった。かたや、職場という「公共空間」が完成してゆき、かたや、自宅の居間という「私的空間」が求められていったのだ。

ドイツの思想家ヴァルター・ベンヤミンは、毎日、働き疲れた男が、家の外部の公的生活から自宅に逃げかえり、お気に入りのインテリアに仕立てた居間に、ぐったりと横たわる姿に、近代的プライバシーの原型をみている。そして、自分の趣味の小宇宙に避難する、この近代人のことを、ベンヤミンは「カプセル人間」と呼んだ。

カプセル人間、それは、密閉したプライバシー空間に避難し、外界のいっさいを閉めだした人間のことだ。そして、それは近代人すべてにいえることであって、なにも自分ひとりの特権的なできごとではない。

つまり本来、プライバシーというのは、自分のそれとまったく同等に、他者のそれも同時に担保し、保障されねばならないもの。相対的な社会的関係性があってはじめて、成立する概念だろう。それは、19世紀このかた、現在にいたるまで変わらない。

さらに1920年代、外部からプライバシーを毀損するもののリストに、あたらしい怪物が名を連ねることになった。その名を騒音=ノイズという。ますます過密化する都市空間、街頭に響く自動車の音、くらしにあふれてゆく機械音。私的空間からノイズを排除する。

これが20世紀初頭、プライバシーの成立要件につけ加えられたのである。ちなみに、史上初の騒音防止委員会がニューヨーク市によって設置されたのが、1929年のことだった。

ヘッドホン、それは音響的カプセル人間を生みだす装置といえよう。それは今日でも変わらない。