日本ボクシング界にいま、「重大な危機」が迫っている!
~統轄団体・JBCのずさんな運営・資金管理を告発する

藤岡 雅 プロフィール

なぜ亀田の引退試合がアメリカで行われたのか

そして、兄・興毅の引退試合の悲劇へと話はつながる。

今年10月16日、WBAスーパーフライ級王者・河野公平との一戦に臨んだ亀田興毅。判定で敗北を喫すると、その直後にボクシングを引退すると発表した。「国外追放」されていた興毅は日本では試合ができなかったため、引退試合はアメリカ・シカゴで行われた。毀誉褒貶が激しい選手だったとはいえ、00年代のボクシング界をけん引した実績と功績を考えれば、海外での引退試合とは、あまりにも哀しい幕引きであった。

興毅最後の試合となった河野公平戦は、日本ではなくアメリカで行われた【PHOTO】gettyimages

興毅は、そのときの心情をこう吐露する。

Q:本当は日本で試合をして引退したかったのでは?

興毅「それはもちろんです。ファンの皆さんも後援会の皆さんも最後まで変わらず、ずっと応援していただきました。ホンマは自分を育ててくれた地元の大阪で最後の試合をするのが夢でした。そもそも相手は河野公平選手ですよ。日本人同士の世界タイトルマッチが日本で開けないなんて、こんな残念なことはないですよね……」

JBCからの処分が下ったあと、亀田ジムはライセンスのある会長を新たに迎えようとした。あるいは興毅自身がジムを移籍しようともした。

Q:その時の気持ちはどうだった?

興毅「それは『なんとか日本で試合をやらせてください』の一心ですよ。河野選手の所属するワタナベ・ボクシングジムの会長さんとも何度も話し合いました。処分を受けたまま終わったなら、亀田家に対する誤解は解けることはありません。だから4階級制覇に挑戦したかったし、ファンの皆さんや後援会の皆さんの前で試合をして、亀田家をもう一度、見直してもらいたかったんです」

しかし、興毅のあらゆる働きかけにもかかわらず、JBCは興毅が日本のリングに立つことを認めることはなかった。

興毅「残念でしたけど、このままでは自分の試合のブランクが1年以上も開いてしまうことになりかねなかった。練習もしなければいけないでしょ。もう日本での試合をあきらめるしかなかったんです」

かくして亀田興毅は、JBCの管轄の及ばないアメリカで河野とのタイトルマッチに挑み、引退したのだった。

興毅に日本での試合を認めないというJBCの決定は、問題アリだったと言わざるを得ない。河野の試合日程にも影響を与え、またファンの思いまで踏みにじることになったのではないか。そもそもJBCの試合管理上の過失が強く疑われる騒動の責任を、亀田ジムに負わせ、亀田3兄弟の選手生命に重大な影響を与えるような処断をすることが、果して許されるのだろうか。

亀田追放問題は、JBCの執行体制の混乱を象徴しているように思えてならない。前述のとおり、亀田ジムの会長とマネージャーはJBCを提訴しているので、今後の裁判でJBCの責任も明らかにされることになるだろう。