各界の一流が明かす「苦しみから抜け出す方法」
~現役引退、身近な人の死。そのとき、彼らはどう振る舞ったか

週刊現代 プロフィール

「『まだできるからやる』というシンプルな気持ちでした。調子の良かった頃に戻ろうとするのではなく、今の自分にあったスイングを見つけることで、不調を抜け出せると確信していた。

伊集院さんは『追いかけるな』という言葉に様々なメッセージを込めていますが、私にとっての『追いかけるな』とは、過去の成功にとらわれるな、ということなのです」

悲しんでばかりはいられない

失ったものを追いかけても、戻ってはこない。それはわかっているが、過去を受け入れ、辛い現実と向き合うのはなかなかできるものではない。

たとえば、人との別れ。その人と親しかったならば、なおさらだ。

だが、いつまでも悲しみにひたっていては、去って行った人が報われないと語るのは、俳優で『100万円クイズハンター』の司会者としても知られる柳生博氏だ。柳生氏は、今年5月2日、最愛の息子・真吾さん(享年47)を喪った。

「亡くなる5年ほど前に、咽頭のまわりにポリープができはじめたんです。手術を重ねたけれど、どうしてもすべては取り切れない。だんだん呂律が回らなくなり、やがては激しい喉の痛みで文章を書くこともできなくなった。子供が痛がっている姿を見るのは、本当につらい。闘病中は、私自身も身を削られるような日々でした。

それでも真吾は、自分が死ぬことなんてちっとも恐れていない様子だった。だから私も、完治しないまでも、何とか生き延びてくれるだろうと思っていたんですが……。それだけに、真吾が亡くなったときは、『この親不孝者が』と、深い喪失感がありました」

現在、柳生氏が暮らしている山梨県八ヶ岳の土地は、約35年前に自身で購入した場所。荒れ放題だった土地を整備し、苗木を植え、美しい雑木林を育ててきた。

そして26年前、真吾さんと共にこの地に作ったのが、レストランとギャラリーが併設された「八ヶ岳倶楽部」。いまでは、年間10万人が散策に訪れるようになったこの倶楽部で、真吾さんは代表を務めていた。

「真吾が亡くなったのは紛れもない事実で、いまでもふと夜中に思い出して、悲しくなることはある。でも、悲しんでばかりいてはいけないと、気づいたんです。私自身でというより、森に、真吾に気づかせてもらった」

園芸家だった真吾さんは、虫や植物に精通していた。柳生氏も、そんな真吾さんから様々なことを教わったという。

「『あれは真吾に教わった〇〇虫』、『これは真吾が植えていた木だな』と、毎日のように思い出している自分がいた。そして、この森には、森を愛し、倶楽部を守っていこうとしていた真吾の『意志』が生きていると思うようになったのです。いま思えば、真吾が死を恐れなかったのも、自分の生きた証が、森には生き続けるとわかっていたからなのかもしれません。