「あれから三十年」伊集院静が明かす、亡き前妻・夏目雅子との最後の日々

悲しみには必ず終りがやって来る
伊集院 静

 或る日、彼女が検査でどうしても別のフロアーまで行かねばならない時があり、私は病室に残った。すると隣りの隣り、病室をひとつ隔てた部屋のテレビの音が聞こえて来た。

「そうか、わかっていて従ってくれているのだ……」

 と思い、やるせない気持ちになった。

 検査を終え、車椅子に乗って病室に戻って来た彼女が、Vサインをして私に笑いかけた時、その明るさに苦笑いをした。

――なんだ、助けられてるのはこっちか。

 命日は、誰にも逢わずに、これまで過ごしたが、今年は、東京の母代りのMさんと、Kさんと打ち合わせがてら食事した。

 そうしてみると楽であった。

 今、全国でいったい何人の人が、家族の病気に付き添っていらっしゃるかは知らぬが、どんな状態でも、明るく過ごすようにすることが一番である。明朗、陽気であることはすべてのものに優る。

 自分だけが、自分の身内だけが、なぜこんな目に……、と考えないことである。気を病んでも人生の時間は過ぎる。明るく陽気でも過ぎるなら、どちらがいいかは明白である。

 私たちはいつもかつもきちんと生きて行くことはできない。それが人間というものである。悔むようなこともしでかすし、失敗もする。もしかするとそんなダメなことの方が多いのが生きるということかもわからない。 

 この欄で〝追いかけるな〟ということについて書いたが、正直に言うと、私は〝追いかけてます〟も悪くないと思っている。ひとつのことを成し遂げようと思ったら他人がどう思おうと、やり続けることだ。

 私が言っている〝追いかけるな〟というのは、いつまでもつまらぬものにこだわるな、という意味合いの方が強い。

 今は切なくとも〝悲しみには必ず終りがやって来る〟という老婆の言葉を私は信じている。