「あれから三十年」伊集院静が明かす、亡き前妻・夏目雅子との最後の日々

悲しみには必ず終りがやって来る
伊集院 静

      あれから三十年の時が過ぎて

 またたく間に三十年が過ぎて、私はあいかわらず、ぐうたら作家で生きている。

 三十年前の一年間は雨が多い年だった。

 少し切ないナ、と思った午後は、いつも雨が降っていた。

 その年の夏、御巣鷹山で日航機が墜落し、多くの犠牲者が出た。その中の一人に、前妻と仲の良かった宝塚出身の娘さんがいた。

 私も一度逢ったことがあった。

 清楚で美しい娘さんだった。

 私はこの時の事故のことを病院の待合室のテレビで知った。

 病室からテレビを出していた。

 当時のテレビのワイドショーは、芸能ニュースで芸能レポーターが報道の自由と称して好き勝手な報道をしていた。

 妻はテレビを観るのが好きだったから、治療の入院とはいえ、過酷な化学療法がない時は時間をもてあました。

 今、思い出しても、白血病という病気は奇妙(表現が適切ではなかろうが)な病気だった。治療以外の時間、病室で休んでいる時は、端で見ていて、健常者と何ひとつかわらない。正常ではない白血球が増えて来るまで何もわからないし、本当に病気なのか、と思ってしまうこともあった。同時に、次の朝、目覚めると、奇跡が起きていて、医師も驚嘆する結果が出て、退院し、外を走り出すのではと思ったりした。

 それは逆に表に病魔の気配があらわれない分だけ不気味であった。

 今は、三十年前に比べると、血液の病気の治療は格段に良くなっている。

 友人の、渡辺謙さんの活躍を見てもらえればわかる。

〝白血病〟イコール〝死〟という言葉は、医師も、当事者も使わないし、生存率は、当時とは比較にならない。

 三十年前は違っていた。

 テレビを観せて、ワイドショーで、彼女がそういう病いだとレポーターが言い出せば、当人に病気のことは伝えなかったので、知った時の動揺を考えるとテレビを部屋から出すしかなかった。

「この病棟にはテレビは置かない規則なんだよ」

「わかりました」

 こちらが言うことはすべて素直に聞いてくれた。

 しかし実は、彼女は他の病室にテレビが置いてあるのは知っていただろうと思う。