なぜ水俣病患者は「チッソを許す」と言い始めたか〜皇后美智子と石牟礼道子のものがたり

【特別対談】山折哲雄×高山文彦
山折哲雄, 高山文彦

山折 水俣病のような悲劇的な状況になると、はじめは必ず加害者と被害者に分かれるんです。時間がたって客観的な調査が入ってゆく過程で、次第に加害者が被害者であったり、被害者が加害者であるという状況が見えてきます。差別の現場に生きる人々のあいだに生じることですね。

山折哲雄氏

いまおっしゃった緒方さんの体験は、被害者・加害者の二元論を超える世界にゆかないと自分は救われないということなんでしょう。

ここで思い出すのが、ハンナ・アーレントです。アイヒマン裁判の傍聴記を書いてユダヤ人社会からものすごいバッシングを受けました。ユダヤ人を迫害したのはナチスだけではない、イスラエルのユダヤ共同体も迫害に協力したではないか、それを不問にした裁判だと彼女は暴きました。ユダヤ人は被害者であると同時に加害者だ、と。

高山さんの『ふたり』を読んで水俣の問題とアイヒマン問題が重なると思いました。

高山 それは新鮮な視点です。ただし、アーレントの場合は、イスラエルのユダヤ人社会というそれまでタブー視されてきた存在に異を唱えたから、世界中のユダヤ人から非難された。しかし、水俣の闘争と患者たちにはタブーがなかった。唯一あったとすればそれは天皇と皇后だったのかもしれません。

山折 日本における超越的なるものとは、神といってもいいし仏といってもいい、絶対価値ともいえるものでしょう。それはすべての人間に内在する可能性をもっている。先ほどおっしゃった不知火の漁師たちの言葉……。

高山 「のさり」ですね、天からの授かりものというあの言葉。

山折 その天は、私が言う超越的な価値ですべての者に内在にすると考えてもいい。これまで話してきた「許す」という言葉は、キリスト教的な一神教の秩序のなかでは、許すものは神であり、許されるものが人間で、この関係は逆転しない。

ところが、日本の風土においては内在する神を母ととらえてもいいし、石牟礼さんのいわれる母体と考えてもいいでしょう。さらに言えば、それはもっと絶対的な存在である可能性もあります。その存在を通して天皇と大衆の関係も出てくるんです。天皇という最高の権威と、大衆という貧しい差別された人々が同一化する構造の基盤にそれがあるんです。

天皇皇后が慰問したことの意味

高山 天皇皇后はいまでも最大のタブーであるわけです。しかし、お二人は水俣病に宿命を背負わされている。つまり水俣病を蔓延させた企業に雅子妃の祖父が関係していたし、皇后の妹さんは第二水俣病を発生させた昭和電工に嫁がれている。

皇后ご自身、水俣訪問の前年に「皇太子の問題がございますから(訪問は)難しいでしょう」と漏らされた、と伝わっています。皇室が乗り越えなければならない問題を、両陛下は果たされたんです。