山折 石牟礼さんが『苦海浄土』で描いた、あの過酷な状況のなかで地獄のような闘いをしてきても、一種の絶望感のようなものとだんだん直面せざるをえなくなってゆく。そんなときスッと心の奥底から出てきた言葉が、「チッソを許す」だった。これは水俣闘争のクライマックスだったんでしょう。
それを通してはじめて天皇皇后との面会がかなったのではないか、高山さんの本を読んで、そう思いました。ただし、この言葉で水俣病問題が解決したわけではない。
高山 そうなんです。石牟礼さん自身はまだチッソも国も許していないと思うんです。彼女がいちばん大事にしてきたのは風景をふくめた水俣そのものですから、まだまだ怨念の塊でしょう。
高山 石牟礼さんと一緒に水俣病闘争をになってきた作家の渡辺京二さんが、自分たちの支援闘争のスローガンは「義理と人情」である、反近代的な一揆だと表現しているんです。チッソに対してやられたらやり返す、ハムラビ法典でいうところの「同態復讐法」みたいに。
しかし当初はそういう姿勢であったかもしれませんが、最後には「許す」とつぶやく境地にまで達し、凄惨きまわりなかった世界が、むしろ人間の豊かな生命力に満ち溢れてきたように見えますね。
山折 一度仇討ちをすれば人々は納得するものですが、国もチッソも贖っていない点が問題なんです。それでも患者たちは、その憎しみを無限連鎖させないことを選んだ。
高山 先ほど紹介した緒方正実さんの伯父で正人さんという方がいて、『チッソは私であった』という本を書いてらっしゃる。自分は被害者であるけれど、この水俣の海を漁師として荒らしまくった加害者でもあるんだ、毒を流した者たちと同じ側に立ってるんだ、との認識に至り、チッソを許すと言い出した。
「命の尊さ、命の連なる世界に一緒に生きていこうという呼びかけが水俣病事件の核心ではないかと思っている」と書いています。
その後、運動から離れ認定申請を自ら取り下げてからも、慰霊碑のまわりに自作の野仏をたくさん建てる活動はつづきました。
山折 命の連なりの過程には、無数の死の問題があります。死んで生まれ変わる、再生する。一度俺は死んだんだ、殺されたんだ、そのうえで命がつながる、という文脈だろうか。
高山 ああ、なるほど。緒方正人さんの場合はまさにそれだと思います。