海外勢がシェア9割の「人工心臓」に20年挑戦!
小さな町工場から見えた「技術立国の大復権」

『下町ロケット』を超える劇的ストーリー
週刊現代 プロフィール

エバハートの考案者で、東京女子医科大学心臓血管外科主任教授の山崎健二氏が語る。

「すべての始まりは'90年、私が女子医大に入局して5年目のときです。ある学会でプレゼンを聞いているうちに、ふと人工心臓に活用できそうなアイデアを思いついたんです。それが実現できれば、体内に入れることのできる人工心臓を作れるのではないか、と」

山崎氏のアイデアは、人工心臓の動力を従来の拍動型から、スクリューのように動く連続流型へ変更するというもの。そうすればはるかに少ない動力で稼働させられるようになり、小型化が可能になる。「外置き」がほとんどだった人工心臓を、体内に入れることができると考えたのだ。

「ただ、このアイデアはあまりにも新しすぎた。試作品の製作を持ちかけた大手機器メーカーからは、『そんな危なっかしいものはできません』と、ことごとく門前払いを受けました。

そこで、最終手段として相談したのが実家です。私の父はミスズ工業という会社を立ち上げ、精密加工業をやっていた。主な事業は時計部品の製造でしたが、何とか説得して、まがりなりにも試作品を作り上げた」

それからは、試作品を持って、父と共に共同開発してくれる企業を探す日々。だが、やはりどこにいっても門前払い。ときには、父・壮一氏が親バカ扱いされることもあったという。

それでも、山崎氏は夢を捨てられなかった。

人工心臓を小型化できれば、これまで救えなかったたくさんの命が救える—。

熱心に説く息子の姿に、父は心を決めた。

'91年、ミスズ工業の事業などで蓄えた資産をつぎ込んで、サンメディカル技術研究所を設立。長男・俊一氏を社長に据え、エバハートの独自開発に取りかかったのだ。山崎氏の夢は、一家の夢となった。

サンメディカルの設立当初の従業員は、山崎氏の父と兄を含めてわずか4人。10坪程度の実家の空き部屋を「研究所」として、創業した。

山崎氏は、医師として医学的な見地から意見を出し、共に開発を進めていたという。

「わかっていたことですが、壁はあまりにも高かった。兄が厚労省に認可の相談に言ったんですが、『そんな無謀なことは今すぐやめなさい。とても地方の中小企業の手に負える代物じゃない。治験するなら外国でやってくれ』と告げられたんです。何度も通ううちに販売承認までの手順を一緒に考えてくれるようになりましたが、当初は頭ごなしに否定され続けました」