「長野の小さな食堂」が7000万円脱税〜真面目と評判の夫婦がなぜ?

週刊現代 プロフィール

実際に食堂を訪れると、営業こそしているものの、外壁はくすみ、屋根のペンキは剥がれ、見るからに寂れた印象だ。

開店休業状態の店内に足を踏み入れると、田舎の小さな食堂というだけでこれといった特徴はない。「忍耐」と大きく書かれた、野口英世の手になる書が額装されて飾られている。無論、複製だろう。今出せるメニューはラーメンだけだという。

住民が言うように、ここで3億円を超える巨額の蓄財が可能だったとは到底思えない。夫妻の弁は後で紹介する。

やぶはら食堂は'60年代後半、国道19号線が新しく整備された頃に高子さんの両親が開業した。

当時を知る同じ地区の飲食店経営者の話。

「目の前の国道を走る長距離トラックの運転手さんや工事の関係者の人が毎日ひっきりなしに『やぶ食さん』(現地の人はこう呼ぶ)を訪れていました。昭和50('75)年頃から(新鳥居)トンネルの工事が始まって3年半後に完成したんだけど、その頃は常にお昼時は満員でした。店の前の大きな駐車場にも車が入りきらないほどでね。昭和の頃が一番儲かっていたはずです。儲けてもこんな田舎町じゃ使うところもないし、貯まる一方だったのかもしれません」

一人娘だった高子氏の元へ邦雄氏が婿入りし、婿養子となる。食堂の跡取りに収まった邦雄氏の評判は、すこぶるいい。

親族の一人は彼をこう評する。

「実直な働き者です。文句ひとつ言わずに、夏の暑いなかも、寒さの厳しい冬も仕事を続けてきました。『やぶ食』は、地元では人情もあって、味もいいと評判ですよ。先代のおじいちゃんが'91年に亡くなってからは彼が食堂の味を守り、おばあちゃんと妻と休みなく店を開けていました」

「頼れるものはおカネだけ」

時代とともに人の流れは変わっていく。工事が終わり、国道沿いにコンビニエンスストアができたことで、やぶはら食堂はかつての賑わいを失っていった。'10年にはすぐ近くに「道の駅」が新設され、それ以降、開店休業が長く続く。

高度経済成長とともに成長し、その役割を終えた食堂の姿を見届けるように、'12年1月、高子さんの母親が亡くなる。86歳だった。

「亡くなったおばあさんは若いころから気が強くて、商売上手な人でした。おじいさんが亡くなってからは、おばあさんが店を切り盛りしていた。病気になりお店に出られなくなってからもずっと金庫は握っていて、『頼れるものはおカネだけ』とよく言っていましたね」(前出の飲食店経営者)

水原夫妻には子が一人いて、高子さんの母親は、娘夫婦や孫名義での預貯金を積み立てていたという。法定相続人は3名で、死亡時に夫妻が申告した遺産は約8000万円。当時なら相続税がかからない上限の金額だった(今年から相続税法が変わり、法定相続人が3名の場合、4800万円を超える相続から相続税が発生する)。相続に詳しい税理士が解説する。