『世界一受けたい授業』の河合敦先生が教える
「戦国時代の上司と部下」

河合 敦 プロフィール

このように、この時代の大名は、まわり対して常に気を使っており、江戸時代の大名に比べて、圧倒的に扱いが悪かったと言えます。

部下に甘い顔ばかりしていると舐められるし、能力がないと思われたら見限られる。戦国大名は、割のいい仕事ではありません。

もちろん②も答えは×ということになります。

頭打ちの出世概念を変えた信長の成果主義

残るは③の「能力があれば誰でも出世できる?」です。

これも多くの人が正しいと思っているのではないでしょうか。尾張の農民(足軽)の家に生まれた羽柴秀吉が織田信長に引き上げられてどんどん出世をし、やがては天下を取るのですから、当然でしょう。しかし、これはきわめてレアな例であり、戦国時代のスタンダードでは決してありません。

当時の大名家では、家臣の序列はきちんと決まっており、譜代の重臣を飛び越して、軽輩やよそ者がそれより偉くなることはありません。もちろん、戦で手柄を立てれば褒美はもらえますが、そこまでです。新参者に広大な領地や権限が与えられることなどないのです。

ましてや一国を与えるなど、正気の沙汰ではありません。身分の低い者でも能力さえあれば大名まで出世できたのは、戦国時代でも織田信長の家臣に限られた話なのです。従って③も間違いということになります。

この時代、信長は突然変異の大名と言えます。徹底的な能力主義、成果主義でした。その意味で彼ほど革新的な大名はいませんし、この考えが、地方の弱小武将だった信長を、天下人に近づけるまでにしたと言ってもいいでしょう。身分の低い者も働きによって取り立てるから、皆必死で働く。

資料には残っていないのですが、おそらく才能ある人材の発掘を専門で行う家臣を抱えていたのではないでしょうか。頑張った人にはそれに見合う報酬を与えることで業績を伸ばそうというのが、信長の経営方針でした。終身雇用で安定を与える代わりに頑張らせるのが日本企業なら、目の前の報酬を餌にモチベーションを高める外資系に近いと言えるでしょう。

もともと織田家は尾張の半分ほどを治めていたに過ぎませんでしたが、信長のおかげで大きくなり、古くから仕えてきた重臣も、多くの領地を与えられています。それは大きな喜びだったに違いありません。

例えるならば、ベンチャー企業に就職したと思っていたら、会社が上場し、気付いたら億万長者や子会社の社長になっていたようなもの。多少こき使われたとしても、あの社長を信じて頑張った甲斐があったと感じているはずです。

信長を殺した明智光秀も、浪人から才能を発揮する場を与えられ、一国を治める大名にしてもらった人間です。