『世界一受けたい授業』の河合敦先生が教える
「戦国時代の上司と部下」

河合 敦 プロフィール

また、多くの戦国大名には、有能な補佐役がいました。大名がCEOなら、COOといったところでしょうか。戦国きってのナンバーツーと言えば、織田信長に仕えた豊臣秀吉と明智光秀でしょう。上杉景勝に仕えた直江兼続は、家の運営について全権を任せられており、補佐というより実質経営者に近かったと言えます。ただ、兼続はあくまで景勝を立てました。

いずれにしても、戦国時代は実力主義で、江戸時代ほど身分や階層が固定されていないため、大名と重臣は比較的対等で、家臣も主君の大名に対して比較的自由に意見が言えていたのです。ボトムアップの体質は、現代よりも進んでいたと言っていいかもしれません。

つまり、①は正しくない、ということです。

転職と組合の圧力にさらされる大名

②の「家臣は大名に絶対服従?」はどうでしょうか。

そもそも戦国時代における家臣と大名の関係は、主従というよりも契約に近いものでした。家臣は大名から「禄」を受けることで契約が成立となります。ただ、自分の働きに比べて評価されていない、報酬が少ないと思えば、契約を一方的に解除して別の主君に仕えることも可能でした。

今で言う「転職」です。藤堂忠虎は何度も主君を変えていますし、秀吉も元々は松下加兵衛の家臣でした。

他家に行くため、本人と家族、側近で一夜のうちに逃げてしまう、ということもあったようです。ただ、重臣に逃げられた大名は、顔を潰されることになるため、再就職を妨害することもありました。逃げられる前に殺してしまった例も珍しくありません。転職は自由だけれど、それを阻止するのも自由な時代でした。

適正な評価をしないと、優秀な家臣が逃げて家が維持できなくなるため、大名は家臣が満足するだけの褒美を与え、機嫌をとっていました。武田信玄は「なにか僕に落ち度があれば指摘して欲しい」と、自ら作った法律に書いています。

徳川家康の家臣団などは、徹底的に家康に尽くしたと言われますが、あれは大嘘です。彼らは不良家臣団で、一向一揆がおこれば一揆側に味方して家康を討とうとするし、秀吉に誘われれば秀吉側についてしまう。

家臣から見れば家康は自分たちが支えている、という意識が常にあったのでしょう。家康がいつ反旗を翻されるかわからないという不安の中で75歳まで生きたのは、すごいことです。子供の頃からの人質生活で、ストレスに強かったのかもしれません。

また、農民は農民で、村での自治が許されており、殿様の支配、とくに年貢に不満があると、耕作を放棄して雲隠れしてしまうこともありました。こうなると年貢は入らないし、戦で闘う兵士もいなくなるので、困るのは大名です。

仕方なく大名は妥協し、代官を通して、年貢を下げるから戻ってくれないか、と動くこともしょっちゅうでした。さしずめ不当労働を強いると労働組合を作ってストライキをし、給料アップを勝ち取るというところでしょうか。