以下の三つのうち、間違いがあります。それはどれでしょうか。
①戦国大名は専制君主であり、国の運営は独断で決めていた。
②家臣は大名に絶対服従で、逆らうなどありえない。
③能力があればだれでも大名に出世できるチャンスがあった。
いかがですか。どれも正しいようですし、ちょっと違う気もしますね。
戦国時代と言えば多くの人が上のようなイメージを持っているのではないでしょうか。
大名を企業経営者に置き換えたとすれば、その組織は創業社長が経営するワンマン企業で、ブラック企業的な雰囲気もあります。
そこで、今回は、多くの人が誤解している戦国時代のリアルについて、現代の企業との比較からわかりやすく解説していきたいと思います。あなただったらどんな企業体質の、どんな組織で働きたいと思いますか?
まずは①から見ていきましょう。
戦国大名の領国(分国)運営には大きく二種類があります。
一つは老舗タイプ。室町幕府の重臣であった「守護大名」がそのまま戦国大名となったパターンで、代々仕える譜代の家臣の意見を軍議(役員会のような場)で聞き、合議制に基づき運営していました。武田信玄や今川義元がこのタイプにあたります。
社長(守護大名)が銀座(京都)で遊びほうけているあいだに、本社の経営を任せていた重役(守護代)に会社(領国)の実権を握られてしまうケースも少なくありませんでした。上杉謙信の上杉氏、織田信長の織田氏などもこのパターンです。
また無能な社長の愚行に切れた役員が、クーデターを起こすことも、珍しいことではありませんでした。下克上ですね。大内義隆や細川晴元は、家臣によって殺されたり、駆逐されたりしています。
二つ目は合弁企業タイプ。地方の有力武士である「国人」たちの同盟から頭角を現し、大名に成長したパターンで、この場合の重臣たちは、形式上は配下なのですが、大名との関係がきわめて並列に近かったと言えます。例えば毛利元就、徳川家康がこれにあたります。
ですから、国人から大名になった重臣の中には、主君に対してタメ口の者もおり、代表権は大名が持っているものの、共同経営者が複数いるという感じでしょうか。