# 貧困・格差

虐待、暴力、錯乱・・・「生まれる前からお前が憎かった」と母にいわれ続けた、ある女の告白

家に居場所がなかった

18歳で家を出て上京するまで、わたしと母とのキツい関係は続いた。

母はことあるごとに「ママに恥をかかせた」と言って、わたしをなじった。世間体がすべて、恥をかかされることを何よりも嫌う母は、その実、家族の前で、娘に恥をかかせることを最大の楽しみとするような、底意地の悪さを発揮した。

わたしが中学生になると、身体的な暴力は減り、代わりに言葉の暴力が激しさを増した。それも思春期の娘が最も嫌がるような、容貌や体重についての皮肉や、成績が良く、生徒会長を務める兄や、父親似で顔の可愛い妹との比較が中心になった。

母は巧妙だった。ふたりきりの時に、娘の劣等感を煽るような言葉を投げつけ、わたしを怒らせておいてから、家族の前で必ずわたしが怒りを爆発させるように仕向ける。そしてそのたびに、わたしを悪者にして嘘泣きをする。父も兄妹もみながわたしを責めた。

家族中が敵だった。4対1で闘うわたしに勝ち目はなかった。

わたしは自尊心が低く、いつも下を向いて歩いた。心から信頼できる友だちもできなかった。いや、そんな友だちを自分が求めていたのかどうかさえ、わからない。

家に自分の居場所はなかった。はやく高校を卒業して、上京することばかり考えていた。わたしは逃避するように本を読み、空想の世界に生きていた。

しがみつく母親

わたしは、東京の私立大学に進学した。

ひとり暮らしをはじめても、母の過剰な干渉は続いた。頼んでもいない手作りのカーテンやクッションやベッドカバーを、せっせと送ってくる。それをアパートの部屋に飾って、「ママを忘れるな」「毎日、わたしを思い出せ」と言いたかったのだろう。

【関連書籍】『毒になる母ー自己愛マザーに苦しむ子供』キャリル・マクブライド著

本当の自分が、母親という人間に呑み込まれてしまっているからではないか。

手紙や葉書も週に1度の割合で届いた。「あなたのことを思って」「ママには子どもが宝物」などという、白々しい言葉が並んでいた。

電話も頻繁にかかってきた。電話の内容は、自分がいかに立派な母親か、どれだけ兄やわたしを一生懸命に育てたかという、恩着せがましい自分の手柄話だった。

ところが、年に1度は上京してきてわたしのアパートに泊まると、意地悪そうな目で娘を見て、わたしの容貌や服装、髪型や化粧をけなした。そして、自分の趣味を押しつけて、服や化粧品をわたしに買い与え、若い娘がどうふるまうべきかを口うるさく説いた。

母が疎ましかった。手紙や電話ではストーカーのようにわたしにしがみつこうとするが、母が上京するか、わたしが帰省して実際に会えば会ったで、わたしをけなし、わたしを挑発して怒らせ、芝居がかった泣きまねをする。そんな母にわたしは心底、辟易した。

もう放っておいて欲しかった。わたしを解放して欲しかった。

「どうしてママを棄てたの?」
母の過剰な干渉から逃げきれなかった、ある女の告白Ⅱ