堤真一や堺雅人の“極貧”下積み時代〜部屋にキノコ、食事は雑草

週刊現代 プロフィール

ただ演じたいだけだった

安定した収入を捨て、あえて厳しい俳優の道を選んだ男もいる。ドラマ『JIN-仁-』('11年)や大河ドラマ『花燃ゆ』に出演し、その独特の風貌と演技で高い評価を得ている佐藤二朗(46歳)だ。

佐藤は信州大学卒業後、リクルートに入社。だが、入社式の雰囲気に違和感を覚え、一日で退職してしまう。その後、俳優を目指して劇団文学座に入団。

劇団時代の友人が当時を振り返る。

「当時はおカネがないので居酒屋にも行けず、安い焼酎を1本だけ買って、誰かのアパートに集まって飲んでいました。飲みながら朝まで芝居の話をして、午前10時に稽古場へ向かう。二朗君は、よく遅刻しては指導官に怒られていた(笑)。

あと苦労したのは、自主練習のための稽古場の確保ですね。当時のきちんとしたスタジオの使用料はだいたい4時間で5000円。僕らの給料じゃ到底、払えなかったので、稽古は決まって区民集会所でやっていました。ここだと同じ4時間でも300円なんです」

同期の中での佐藤は、意外にも皆のまとめ役だったという。だが一方、舞台では「我を通す」性格が如実に出ていた。

「二朗君の芝居って独特というか正統派じゃないんですよね。だから先輩や指導官の意に反する演技をして怒られることもしばしば。でも彼は自分の演技や俳優への情熱に確固たる思いがあって、どんなに怒られようと、失笑を買おうと、けっしてめげなかったし、ブレなかった」(前出の友人)

だが、こだわりの強すぎた佐藤には、一向にいい役が回ってくることはなかった。

「自分はこんなに演技がしたいのに、それを披露する場もない」—。一度は俳優を辞め、小さな広告代理店に就職し直したが、俳優の夢が捨てきれず自ら劇団「ちからわざ」を立ち上げた。

「型にはまらないことでようやく二朗君の本来の才能が発揮されたと感じました。

それでも自分で劇団を立ち上げた当初は、文学座とは違う苦労がたくさんあったようです。まずメンバーがいつも不足していたので、そのキャスティングに日々奔走していましたし、チケットを売るために、代理店時代に培った営業力を活かしてこまめに手紙を書いたりもしていました」

さらに友人は続ける。

「二朗君はいつも『もっと目立たなきゃダメだ』と言っていました。極端に言えば、その芝居をつぶすくらいの勢いでやらないといけないと。無名の若手俳優にとって、これは口で言うほど簡単ではありません。でもこの姿勢こそが今の二朗君の『原点』なんです」

確かにカネはなく生活には苦労した。それでもカネじゃなく、夢を追い続けたからこそ、彼らの輝かしい「今」がある。

「週刊現代」2015年11月28日・12月5日号より