「いけずやわ、ほんまに」
〜よそ者には敷居が高い「素顔の京都」の楽しみ方

表と裏と、この街には知らない顔がある
週刊現代 プロフィール

ところで、「京都人はよそ者に冷たい」と言われる。一面では、その批判は必ずしも当たらない。京都人は保守的ではあっても、頑迷ではないのだ。「数年以内に京都へ移住したい」というほど京都に魅了されている、作家で元ファンドマネージャーの藤原敬之氏が語る。

「京都の人々は、人間にしろ文化にしろ、外来のものを『クールに受け入れる』ことに長けています。こいつは使えるとか、プラスになると思ったものはむしろ積極的に取り入れる。事実、牛肉食やジャズといった日本人にとって比較的新しい文化は、現在でも京都が最も盛んだと言っていい」

しかし、こうした「クールな付き合い」が得意だということは、「理屈抜きで心酔する」とか「腹を割って分かり合う」といったことをあまりしない、という事実と表裏一体でもある。さらに言えば京都人は、彼らの生活圏にずかずかと入り込もうとする者に対しては、徹底的なまでに厳しい。おそらくは、これが「京都人は排他的」というイメージのゆえんだろう。

「『お客』として楽しまはる分には、かましまへん。そやけど、よそから来た人が知った風なこと言わはるのはなあ……」

京都人の表と裏は、こう思った瞬間に切り替わる。意地悪と皮肉と嫌味が入り混じった、「いけず」が発動するのだ。

「京都人は、『いけず』と非難されることを恥ずかしいとも、負い目とも思っていません。『いけず』とはすなわち、『そう簡単には、奥座敷は見せられまへん』という京都人のプライドそのものなのです」(前出・山折氏)

「言葉」と「本心」は違う

京都市にある国際日本文化研究センター副所長で、市内西部の嵯峨出身の井上章一氏は、近著『京都ぎらい』で京都人同士のひそかな諍いを暴露して話題となった。井上氏は、「いけず」の具体例をこう解説する。

「たとえば、ピアノの練習をしていると『お上手にならはりましたなあ』と近所の人に言われる。この場合、『やかましゅうして、すみません』と答えるのが正解。子供を遊ばせていて、『坊ちゃん、元気でよろしいなあ』と言われたときも同じです。

京都人は、あくまで形のうえでは相手を立てながら、きつい意見をぶつけてくる。こうした『いけず』を使う度合いは、やはり京都市の中心部、いわゆる洛中の住民が強いのではないかと思います。私の経験では、古くから続く呉服屋が密集している室町通りと三条通りの交差点辺りが『最強のいけず』ですね」

難しいのは、京都人には「いけず」の自覚があまりない、ということだ。その証拠に、京都人に尋ねると「いけず?まあ、そういう人もいはるけどなあ」「悪口やなくて、洗練されとるだけやと思うんやけど」と、やんわりとした否定が返ってくることが多い。