干場義雅 第4回
「柴田錬三郎先生と坪内寿夫さんのゴルフ場の話は、豪快すぎて、いまの時代では考えられません」

島地 勝彦 プロフィール

立木 外見意外は若い頃のまんまだね。というか、まるで子供。人にもモノにもすぐカッとなって夢中になっちゃうじゃない。集英社インターナショナルの社長になったころから急に身ぎれいになったりしてさ。多分、知恵熱が出たんじゃないの。ハシカにかかったんだね。

遅いよね。きっと予防注射を打ってなかったんだよ。みんなは知らないと思うけど、シマジの昔の写真を見せようか。なあシマジ、おれがそれを出してみろ。お前のいまの評判は全部パーだぞ。

シマジ タッチャン、なんでも言うことを聞きますから、それだけは勘弁してください。

立木 そういえば、むかしのシマジはもっと威張っていたよ。「おれは週刊プレイボーイを100万部にしたんだ」という成功体験がこころにあったんだろうね。おれがこうしてうるさく言うようになったから、少しはまともな人間になったんじゃないか。

セオ 先日、一関のホームで新幹線を降りたら、マツモトさんという「島地勝彦公認バトラー」がちゃんと迎えに来ていてびっくりしました。

立木 そういうのが一関にいたり、奥道後温泉にいたり、だろう。シマジは全国区じゃないにしろ、なぜかあちこちに「公認●●」っていうのがいるようだ。

干場 奥道後温泉とシマジ先生とはどういう関係があるんですか?

シマジ むかし奥道後に大旦那がいたんですよ。わたしが半年もあちらへ遊びに行かないと、航空券が4枚送られてくるんです。坪内寿夫さんという映画館経営からのし上がった、来島ドックのオーナーがその人です。

立木 そうか、干場編集長はそういう話はまだご存じないわけだ。

セオ お若いから、来島ドックと言われてもピンときませんよね。

干場 はい、すみません。

セオ むかし「四国の大将」と言われていた造船王が愛媛の松山にいたんです。その坪内寿夫さんが奥道後にどでかいホテルを建てたんですよ。

シマジ 一流のゴルフ場も持っていました。

立木 シマジが坪内さんのことを話し出すと長くなるからおれがはしょって話してあげるね。

いまから50年以上前の話になるけど、坪内さんは柴田錬三郎先生の大ファンだった。しょっちゅうシバレン先生を奥道後ホテルに招待して美味いもので饗応するんだけど、シバレン先生はいつも2泊くらいで帰ってしまう。

「柴田先生、もう少し長居していただけませんか」と坪内さんが言うと、シバレン先生は「坪内、ゴルフ場を造ってくれたら何日でもいるよ」と冗談交じりに言ったそうだ。