「帝国議会」とは何だったのか?〜二つの「100年」から議会政治の核心に迫る

村瀬 信一

パラダイムシフトが起こるとき

ただ、これら二つの「百年」が系統を異にする人たちにより、別個に回顧されるのは健全な状態ではない。民権運動の中で生まれた自由党・改進党という二つの政党の流れは紆余曲折はありながらも続き、最終的に昭和30年、保守合同で合流して自由民主党となるからである。自由民権運動とは今日の保守政党、保守政治の源流なのである。

だが、民権運動に革命を見出したい人々は、議会開設以後の政党を運動の堕落・変質したものと見がちだし、一九世紀のアジアに例外的に根づいた議会政治に強い興味を抱く人々は、前史としての民権運動にあまり関心を示さない。そして、両者の間には建設的な対話が成り立たない。

民権思想家・中江兆民は、第一回帝国議会に代議士として臨んだが、自由党土佐派が当初の予算削減額より相当後退した630万円の削減で妥協する裏取引を藩閥政府と行ったことに憤激し、代議士を辞めた。藩閥政府打倒に燃えた民権運動の精神を忘れたのか、という思いからだったと、通常解釈されている。しかし、それより前に、彼が約717万円削減の妥協に動いていたことを知る人は少ない。

民権運動家たちは例外なく、議会という新しい舞台に順応しようとした。政治に参加し、責任を分担する力を政党が持っていることを示そうと意気込んでいたのである。中江も間違いなくそのひとりであり、彼が怒ったのは、せっかくの苦心の妥協を横取りされたからであった。帝国議会は、民権運動のエネルギーを大きな力に変換できる回路として意識されていたのである。

自由党結成を議会政治への出発点とすれば、今年で約135年である。「自由民権百年」も「議会開設百年」も、その135年の中で重なり合っている。拙著で私が対象とした57年も、135年の重要な一部として描いたし、その中で二つの「百年」の架橋にも意を用いた。それを少しでも感じとっていただければ幸いである。

(むらせ・しんいち 文部科学省主任教科書調査官)
読書人の雑誌「本」2015年12月号より

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