現代中国をつくった男〜「鄧小平」とは何者だったのか?

中国を理解したければ、「鄧小平」を知れ!
橋爪 大三郎 プロフィール

「疑いのない歴史事実」だけを書いた禁欲的な本

1999年から翌年にかけて、私は客員研究員としてハーバード大学で過ごし、エズラ・ヴォーゲル教授の知遇をえた。ヴォーゲル教授はちょうど70歳で退職の年にあたり、これから鄧小平についての本を書くつもりだ、と楽しそうに話していた。

それは楽しみですね。ヴォーゲル先生しか書けないと思いますよ。そして10年あまり、待ちに待った大作が書店に並ぶと、たちまちこの分野では異例のベストセラーとなった。中国語にも翻訳されて、大陸、香港、台湾の版を合わせると100万部を越えている。

ヴォーゲル教授の仕事が画期的な点は、いくつもある。第一に、信頼できるデータにもとづいた、包括的な研究であること。鄧小平のような近過去の指導者は、公開されない情報も多い。ヴォーゲル教授は、公開された文献情報をしらみつぶしにするのはもちろん、それを補うべく、可能な限り多くの関係者(家族や元部下、共産党の幹部、外国の政府首脳など、鄧小平を直接に知る人びと)をインタヴューして、裏付けをとった。特に中国の人びととは通訳なしに、中国語で話しあっている。

第二に、膨大なデータをまとめるのに、社会学の理論を下敷きにしていること。ヴォーゲル先生の分析はパーソンズ(著名な社会学者で、ヴォーゲル教授の指導教員だった)を思わせますね、と私がコメントすると、わかりますか、彼の理論は役に立つんです、と種明かしをしてくれた。

『鄧小平』(本編)は、禁欲的な本で、疑いのない歴史事実だけを書いている。その背後にある動機や意図は、暗示されるだけで、読者の推論に委ねられている。まるで推理小説ですね。現場に被害者が倒れている。血のついた凶器が転がっている。犯人はあの男らしい。でも、動機があるか。アリバイはあるか。証拠は十分か。それはみんなで考えて下さい、ですね。

ヴォーゲル先生の答えは、そこを意図して書きました。なるほど、この本には読み方がある。舞台裏を知っているプロなら、二倍楽しめる本なのだ。

近代中国の苦難の歩み

ここ五年ほど、嫌中感情がひときわ高まっている。だが、中国を毛嫌いするひとほど、中国のことを知らない。これが私の観察だ。こんなときだからこそ、嫌中派はもちろん、なるべく多くの日本の人びとにヴォーゲル教授の『鄧小平』(本編)を読んでもらいたいと思う。現代中国の本質を理解するのに、これほどふさわしい本はないだろう。

けれども、日本語訳の『現代中国の父 鄧小平』(日本経済新聞出版社・2013年)は上下二巻で、1200ページもある。専門でないビジネスマンや学生諸君、一般読者に十分理解できるように書かれているが、値段と厚さのせいで、どうも手が伸びにくい。うまい工夫はないものか。そうだ、そのエッセンスを紹介する、ポピュラーバージョンを出すのがよい。私がヴォーゲル教授をインタヴューして、新書にまとめよう。

こう、ヴォーゲル先生に提案すると、それはよい考えだ、と賛成してくれた。そこでさっそく準備にかかり、じっくり練り上げて、今回刊行されたのが、『鄧小平』(講談社現代新書)である。

この新書では、鄧小平という人物の本質を、ヴォーゲル先生のユーモアあふれる語り口を通じて、ひき出すことを心がけた。『鄧小平』(本編)では証拠がないからと、はっきり断定しないで残してあった微妙な事情にも、一歩踏み込んだコメントを加えている。

フランスに留学した若い日から、革命に身を捧げた艱難の日々、新中国成立以降の活躍と失脚、復活を果たしたあとの改革開放の推進。林彪とのライバル関係。毛沢東への忠誠と反骨。天安門事件の流血に至る経緯と事後処理。新書だからすぐ読める厚さであるが、鄧小平という指導者の、そして近代中国の苦難の歩みを、見通しよく理解できるはずだ。

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