父親4人、貧困、虐待、中卒で就職、インドネシアで1000万の生命保険に……安倍昭恵が果てしなき「壮絶人生」に迫る!

安倍昭恵×黒沢一樹(第一回)

学校にあまり行かず、生きるためにお金を稼いだ小学生時代

安倍: 学校には行っていたんですか?

黒沢: あまり行けなかったですね。たまに行ったときに、殴られて顔が腫れていても「転んだ」くらいに言い繕って、先生も大体事情はわかっていたはずなんですけど何もしてくれませんでした。

安倍:  お友達はいたんですか?「あんまりあの子と遊んじゃいけない」みたいな空気があったんでしょうか。

黒沢: ファミコンをしに家に遊びに行くような相手はいました。小さい兄弟をおんぶしてオムツとミルクと着替えを持って。

ただそういう状況になると、不思議と大人びちゃうんですね。友達と喋っていても、自分がマセているから相手の話を子供っぽく感じて、友達らしい友達はできなかったですね。ずっと「僕は普通とは違うんだ」と思っていました。

安倍: ミルク代とか、お金はどうされていたんですか?

黒沢: 母の財布からこっそり抜いていましたが、お金がないときは、あちこちのゴミ集積所を回ってビール瓶を拾って酒屋さんに持っていきました。中瓶は5円、大瓶は10円、透明な瓶だと30円くらいで引き取ってもらえるので、一日300円分くらい集めるんです。酒屋の人もこちらの事情がわかっているから、何も言わずに換金してくれました。

中学生になると、アルバイトで朝夕刊を配達していたし、あとは、カツアゲみたいなこともせざるを得なかったですね。

生活保護が申請できなかった!

黒沢: その頃には母親はメンタルがやられて仕事ができない状況になってしまい、父親はひたすら飲んで暴れるばかり。脅されていて、逃げられない状況だったんですね。

暴力と恫喝で恐怖政治を布かれてしまっていたんですが、人間ってその状態が楽になってしまうものなんですね。だから、母親からすれば、僕はもう敵ですよ。今のこの安住の地を脅かすな、ということで、「おまえなんか生まなければよかった」と言われたこともありました。

「今はお母さんも普通じゃないんだ」と思い込むようにして、何とか自分の精神状態を保つようにしていました。他の家庭がどういうものなのか知らないのと、守るものがあると人は強くなれるのかな、と。妹と弟をどうやって食わせていこうか、ということばかり考えていました。

高校受験も一応したんです。地元で僕の家の事情を知っている人のススメで、どういう成り行きか、僕は中学校の頃から強制的に塾に行かされていたんです。成績が上がって高校に受かることができました。

正直僕は当時「今にあしながおじさんみたいな人が来てくれて、こんな生活が変わるんじゃないかな」と漠然と思っていました。でも、現実は何も変わらなかったですね。仮に高校の学費は何とかなったとしても、生活費はどこから出るんだ、と。

実は生活保護の申請もしたんですよ。そうしたら、「エアコンと自動車を持っているから、申請できない」と言われました。

「田舎でクルマを持っていなかったらどうやって生活するんだ」と思ったんですが、「僕が働くしかないな」と十代後半から働くことにしたんです。高校は入学式だけ行ったんですが、入学金も支払っていないから実際は入学できていないんです。