作家・町田康「私にとって特別な連載でした」〜スピンク日記特別公開

「私はスピンクといいます。犬です」
町田 康 プロフィール

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 と言うと、後ろの席で私が主人・ポチと美徴さんの話を落ち着いて聞いていたようにきこえますが、実はそんなことはまったくなくって、主人・ポチがパニックであるのと同じくらい、もしかしたらそれ以上に、私はパニックでした。

 というのは、そのとき私は納得ずくで飛行機に乗った訳ではなかったからです。

 そのとき私は生後四箇月でした。

 後で知ったのですが、それまで私がいたところは上方の方らしいです。私の兄弟は十二人居て、私は多くの兄弟と噛みあう、吠えあう、などして楽しく暮らしていたのです。

 ところが一箇月経ち、二箇月経ち、するうちに兄弟がどんどんいなくなる。ついには私とキューティー・セバスチャンを含む四人だけになってしまいました。

 それでもまだ、四人居たので、四人一緒だったので、私らは、がうがう、と言って噛みあうなどして楽しくしていましたが、四箇月目に私は突然、顔を剃られ、足も剃られてクレートに閉じ込められて空港に連れて行かれたのです。

 突然、狭いところに入れられ、知らない匂いと、聞いたこともない大きな音が恐ろしく、私はがたがた震え、小便を洩らしました。

 でも我慢していたらそのうち助けて貰えるのだろうと、一所懸命に我慢をしていましたが、そのうち、助けて貰えるどころか、もっとひどいことになりました。

 いまでも思い出すと辛くて、クルマで出掛けた際、トンネルを通るとあの辛かったことが思い出されて厭な気持ちになります。

 もの凄い騒音。脳が削り取られるように不快な気圧の変化。ひどい寒さ。真っ暗でなにも見えず、自分はもしかしたらもう死んでいるのではないか、と何度も思いました。孤独で寂しくて気が狂いそうでした。

 私は、きゃーん、と吠えました。吠えれば誰かが助けにきてくれると思ったからです。けれども誰も助けにきてくれない。そこで、もう一度、きゃーん、と吠えましたが、それでも助けにきてくれず、後は、もうなにも覚えていません、何度も何度も吠え、吠え疲れても吠え、挙げ句の果てに虚脱したようになってなにも見えない、なにも聞こえない、みたいなことになってしまったのです。

 ただ、きれぎれの意識のなかで、自分の声なのか誰かの声なのか、同じような吠え声がときおり遠くで響いていたのをかすかに記憶しています。

 そんなことで、凄まじい轟音がやんで明るいところにクレートが運び出されても私は腰が抜けたままでした。

 だから、主人・ポチと美徴さんがクレートの扉を開け、「もう、大丈夫だよ」と言ってくれたときも、私は、ワン、とも言えないような状態だったのです。