「差別」「排斥」はニッポンの娯楽になってしまったのか?

そしてヘイトスピーチが日本を侵食する
安田 浩一 プロフィール
〔PHOTO〕gettyimages

アンチレイシズムは広まるけれど

単行本『ネットと愛国』が2012年に刊行されて以降、しばらくの間、在特会の活動はより過激に、活発に、推移していた。在日コリアン集住地域である鶴橋(大阪市)、新大久保(東京都新宿区)でのデモを繰り返し、大きな社会問題として国内外のマスコミも注目した。

しかしいま、在特会にかつての勢いはない。同会や関係団体により、いまでも全国各地でデモや街頭宣伝は繰り返されているが、動員力はガタ落ちしている。100人規模のデモが当たり前だった13年頃と比較すると、現在は平均してもその半分にも満たないだろう。地方都市などでは5人、10人といった小規模デモも珍しくない。

理由の一つとして真っ先に考えられるのは、いわゆる「カウンター」の盛り上がりだろう。13年初頭から「アンチレイシズム」を掲げる人々が、こぞって街頭で在特会と対峙するようになった。党派や組合などが主導する運動ではなく、それぞれの政治的立ち位置を超え集まった人々が、「差別反対」のワンイシューで在特会を取り囲んだ。

「カウンター」のなかには右翼も左翼もアナーキストもいた。いや、そのどれにも当てはまらない人が大勢いた。学生が、主婦が、会社員が、ミュージシャンが、街のゴロツキが、とにかく差別デモをやめさせたい一心で、在特会に攻勢を仕掛けたのである。

カウンターの先駆けとして「レイシストをしばき隊」(現在はC.R.A.C.と改称)なるグループを組織したフリー編集者の野間易通は、私との対談でこう答えている。

「あえてコワモテで人相の悪い者を集めて、新大久保の要所要所を見張った。デモを終えて商店街にイタズラしにくる在特会を迎え撃つためです」

そして実際に、在特会を撃退した。野間は在特会を追い払ったその日、ツイッターに「文字通りの"NO PASARAN!"(やつらを通すな)完遂」と書き込んだ。

「あのころ(13年2月)からパラダイムシフトが起きた。あいつらの行動は止められる、状況を変えられるかもしれないという気持ちが、ネットの内外で広がっていったんですね」

「しばき隊」に続けとばかりに、さらにコワモテの「男組」、女性だけの「女組」、プラカードを掲げて差別デモに抗議する「プラカ隊」など、さまざまなグループが生まれた。もちろん、そうしたグループとは無関係に、抗議のために足を運ぶ人々も一気に増えた。

「差別をやめろ!」
「レイシストは帰れ!」

デモ隊に向けて沿道に集まったカウンター勢が一斉に罵声を飛ばす光景は、いまやおなじみである。衝突や小競り合いも頻発した。これが面倒で(おそらくは怖くて)、差別デモから抜けた者は少なくない。

さらに「カウンター」の側は、あらゆるイベントや集会で、差別の実態を告発した。これによって「ヘイトスピーチ問題」は、世間にも大きく知られるようになる。それをマスコミが報じることで社会的関心も高まった。いうなれば在特会に対する社会的圧力が高まったことにもなる。

こうした社会の包囲網が広がることにより、「ヘイトスピーチ規制」を求める声も広がりを見せている。たとえば、「ヘイトスピーチ対策」を求める意見書を採択した自治体は、いまや全国で200を超えた。先駆けとなったのは国立市(東京都)である。