【ゼロからわかる】危機の震源シリアで何が起きているか〜"参戦"したロシアの思惑から問題の歴史的背景まで

第二次世界大戦後「最大の人道危機」はこうして生まれた
笠原 敏彦 プロフィール

サイクス=ピコ協定は、英仏両国がアラブの将来の独立という約束にリップサービスをしながらも、帝国主義的野心をむき出しにしたものだった。

なぜなら、両国はフサイン=マクマホン協定がアラブに約束したはずの土地を、サイクスが引いた砂漠の上の線で分割するものであったからだ。両国の取り決めは、線の北側をフランスが、線の南側をイギリスがそれぞれ支配するという内容だった。

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イギリスは中東支配への要求を正当化する方法を模索する。

新たに首相になったロイド・ジョージは、イギリスの帝国主義的野心の隠れ蓑にするため、国家を持たないユダヤ人の建国運動シオニズムを支援する方針を取る。これが、ユダヤ人に対しパレスチナでのナショナル・ホームの建設を約束する「バルフォア宣言」(1917年11月)へとつながる。

イギリスには、大英帝国の維持にとって重要なスエズ運河の隣接地に親英勢力を居住させることで、スエズ運河の安全を確保するという狙いもあった。

第一次大戦終了後の1919年、ロイド・ジョージ英首相とクレマンソー仏首相はロンドンでの会談で次のような生々しい会話をしている。

クレマンソー 「今日は何を話そうか」
ロイド・ジョージ「メソポタミア(イラク)とパレスチナだ」
クレマンソー 「何が欲しいのか言ってくれたまえ」
ロイド・ジョージ「私はモスル(イラク北部の油田地帯)」
クレマンソー 「いいだろう。他には?」
ロイド・ジョージ「エルサレムもだ」
クレマンソー 「いいだろう」

われわれが今、直面している困難

以上のエピソードが象徴するように、現在の中東の国境線は、英仏などが第1次大戦後、サイクス=ピコ協定をもとに宗派や民族などを無視して決めたものだ。

ジェームズ・バー氏は著書の中でこう書いている。

「世界地図の上に鉛筆の一筆で引く国境、サイクスが引いたような境界は、19世紀にアフリカを分割したときには有効だったのかもしれない。しかし、それを20世紀にオスマン帝国にあてはめることは横柄に過ぎた」