【ゼロからわかる】危機の震源シリアで何が起きているか〜"参戦"したロシアの思惑から問題の歴史的背景まで

第二次世界大戦後「最大の人道危機」はこうして生まれた
笠原 敏彦 プロフィール

シリア内戦の歴史的背景

ここまでシリア内戦の実情を追ってきたが、2011年3月に内戦が始まって以来、死者25万人、難民・国内避難民1200万人に上る第二次大戦後「最大の人道危機」への理解を深めるために、その根源にある歴史的背景にも少々触れておきたい。

それは、シリアとイラクに支配領域を持ったISが「サイクス=ピコ協定の国境線の無効」を宣言したことに関わることだ。

テロを繰り返す過激派組織の宣言をそのまま受け止めることはできないが、支配領域と統治組織まで備えたISがここまで勢力を伸ばしてきた背景には、西洋とイスラム間の文明史的経緯があることも事実であるからだ。

英仏などがオスマン帝国解体後の中東の分割支配を決めたサイクス=ピコ協定(1916年)など一連の秘密交渉については、数年前に出版された英国人ジャーナリスト、ジェームズ・バー(James Barr)氏の著書『A LINE IN THE SAND : Britain, France, and the struggle for the Mastery of the Middle East』(砂上の線 中東支配をめぐる英仏の暗闘)がその内情をつぶさに発掘している。

この本から当時の英仏がどのように現在の中東の国境線、秩序を形作ったのかを示すエピソードをいくつか要約により紹介したい。

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「Acre(アッコ、現イスラエル北部)のAからKirkuk(キルクーク、現イラク北部)のKまで線を引く」

イギリス人外交顧問のマーク・サイクスは中東の地図を前に指で斜めに線をなぞった。1916年、彼がフランス人外交官ジョルジュ・ピコと結んだオスマン帝国崩壊後の英仏間の領土支配に関する秘密協定は、地形や民族分布を全く考慮しない砂漠上の一本の線だった。後に「サイクス=ピコ協定」と呼ばれるこの協定こそ、現代中東の苦悩の始まりだった。

1915年に弱冠36歳で政府の中東問題に関するチーフアドバイザーに抜擢されたサイクス准男爵は、中東情勢の権威とみなされていた。しかし、実際は巧みな話術と文才によりそう過大評価されていた部分が大きい。

彼が執筆した書物にはアラビア語の専門用語や独自のウィットが散りばめられ、彼が首相官邸に招かれた際には、アラビア語とトルコ語に精通する中東専門家のイメージを閣僚らに植え付けることに成功していた。しかし、サイクスはどちらの言語も喋ることができなかった。 

中東外交の焦点は、オスマン帝国崩壊後の中東諸国を誰が統治するべきかという問題であり、英仏ともに自国以外に正解はないと確信していた。サイクスは英国がフランスと早急に協議をし、領土の取決めを行う必要があると首相に訴え、政府の行動を促した。