孤児院で育ち、極貧から220億円の資産家になるまで
「ココイチ創業者」直撃インタビュー!

週刊現代 プロフィール

リアカーに食器と布団、教科書を積み込んで、夜逃げしたことも何度かあった。だが、それほどの逆境にもへこたれない。

「悲惨だとは思いませんでした。ものにも事欠く毎日でしたけど、それが普通だと思っていた」

高校卒業後、不動産会社に入り、大和ハウスに転職。そこで出会った直美さんと結婚した。その後、宗次氏は自身で不動産会社を設立するが、新たな事業に挑戦しようと、喫茶店「バッカス」を開業した。

「開店初日、10分もすると、店の内外に多くの人が集まっている。それを見て、不動産の世界とはまったく異なるおもしろさを感じた。ほどなく、不動産業は、廃業届を出していました」

天職だった。喫茶店に本格的に取り組むにあたって、人と話すのが得意な直美さんは、資金繰りのため銀行を駆け回った。

2店舗目の喫茶店で、直美さんが作ったカレーが人気を呼び、カレー専門店への転身を決断した。

'78年に「ここが一番や!」という思いから名づけられたココイチの一号店を愛知県内に開店する。「ニコニコ キビキビ ハキハキ」を掲げ、接客を徹底的に管理した。「お客様第一主義」「現場主義」がモットーだ。

執着を捨てる

人付き合いが苦手だが、アイデアマンの宗次氏が事業の計画を、姉御肌の直美さんが社員教育や資金繰りを、と二人で仕事を分担して働いた。

宗次氏は、ご飯の量、辛さ、トッピングを客が選べる仕組みや、社員がのれんわけしてオーナーとなる「ブルームシステム」を構築。バラエティに富んだ味と、質の高い接客で人気を博し、'87年には80店舗を超えた。

店舗が拡大してからも、宗次氏の仕事への情熱は衰えない。朝4時起床、4時45分出社、朝の時間に、「お客様アンケート」1000通以上を読み、店舗の掃除も行った。退社時間は18~23時。休みは年間15日ほどだった。'98年には店舗数は500に達した。

ところが、こうして会社が成長を遂げている真っただ中の'02年、宗次氏は53歳の若さで会長職を辞し、引退する。それまで代表取締役社長だった直美さんも代表権のない会長に退いた。理由は、後継者が十分に育ったことだという。