孤児院で育ち、極貧から220億円の資産家になるまで
「ココイチ創業者」直撃インタビュー!

週刊現代 プロフィール

宗次氏は毎日、ホールの経営のため、忙しく働いている。氏が言う。

「いまも、毎朝4時に起きて、ホールの周辺を掃除して、花を植え、昼はスタッフ15人分のまかないを作ります。公演前には入場口でお客様を出迎えて、一緒にクラシック音楽を堪能する。いまでは公演が年400回を超えています。まわりからは『変人』と言われますが、自分ではこれが普通なんです」

極貧だった少年時代

こうした行動からも分かる通り、宗次氏は日本有数の実業家でありながら、「カネを追いかけない男」でもある。宗次氏はかつて、本誌のインタビューにこう答えている。

「幼い頃貧乏だった人が『おカネ持ちになりたい』と頑張った話を聞きますが、私にはそういうものがなかった。夫婦の間で『おカネ持ちになりたいね』と話したことは一度もありません」

「金銭欲を満たす気持ちは、少しはありますが、自分のおカネが人のために動くほうがうれしいし、それが『生きたおカネの使い方』だと思う。だから私は身につけているものも安い。時計はカシオの9800円のもの、シャツは980円のディスカウント品です」

稼いだカネは社会に還元する—その哲学こそが、宗次氏の成功の原動力となった。その「カネを追わない」哲学は、いったいどのようにして培われたのか。

宗次氏は'48年、石川県で生まれたが、その直後、兵庫県尼崎市の児童養護施設に預けられた。いわゆる「孤児院」だ。宗次氏は、本当の両親がどんな人物か、まったく知らないという。

3歳のとき、雑貨屋を営む養父母に引き取られたが、養父は競輪にのめり込み、財産のほとんどをつぎ込んでしまう。'55年には岡山県玉野市に移ったが、養父のギャンブル熱は冷めず、養母は逃げた。当時を、宗次氏はこう振り返る。

「アパートや間借り先の家賃が払えず、時には廃屋を転々としながら、電気も水道もない生活を続けました。ローソクの明かりで養父を待ちながら、炊事や洗濯をした。時には、自生していた柿や無花果、野草も食べた。でも、私は両親が大好きでした。養父は年に一度だけ、職安でもらう年末一時金で、私の好きなリンゴを2個買ってきてくれた。あれはうまかった」

宗次氏は、競輪にのめり込む親であっても、決して恨むことはなく、むしろ当時から養父を喜ばせたいと思っていた。

「養父に連れられてパチンコ店にいったとき、彼が床に落ちたタバコの吸い殻をキセルに詰めてうまそうに吸うのを見ました。以来、暇を見つけてはパチンコ店に行き、大人たちの足元をかき分け、シケモクを集めた。日雇いから帰った養父がそれを嬉しそうに吸うんです。自分がカレー屋を始めて抱いた、『目の前にいらっしゃるお客様に喜んでいただきたい』という気持ちの原点は、養父がシケモクを喜んでくれたことにあります」